Hi-Sixリレーマラソンのハードルは上がってゆく〔5716〕2018/12/09
2018年12月9日(日)ちょっと、寒い
今年もHi-Sixリレーマラソンの季節がやってきた。去年ひまわりチームとして初参加した、リレーマラソン。12月3日だった。今年は1週間遅いせいなのかどうなのか、ちくと、寒い。寒い中、本当にたくさんの市民ランナーの皆さんが走ってました。
昨年も書いたようにこのリレーマラソン、42.195kmを、1週2kmのコースでリレーでつないでいくもの。一人で何周してもカマん訳だが、これがなかなか、キツい。2kmというと、かなりの全力疾走。キツい。アップダウンもなかなの曲者。
制限時間が4時間で、昨年は完走できるかどうか不安満載のエントリーでしたが、何と、予想外の3時間20分切り。ひまわりチームは8名で臨み、僕は2週。達成感、満足感が嬉しかった昨年。
で、今年。
いや、僕は、どうしても抜けられない仕事があって工場に行ってたので、途中参加。最後の1周だけ走らせて頂きました。最近あまり走れてないので、キツいキツい。でも、みんなの頑張りで楽しかった。トピックは、このリープルTシャツ。今回作成したお揃いのリープルTシャツで走れたのが良かった良かった。
こういう催しは、素晴らしい。会社のチームでエントリーというのが、僕にとっては本当に嬉しいこと。良い、空気感が醸成されてゆく。
去年は、270チームくらいの参加で総合80位。予想外の好成績で、その夜の打ち上げも盛り上がった訳だけども、今年は。参加者は300チームを超え、益々盛んになっていく中で、なんとなんと総合52位。強豪じゃん。職場部門という部門順位はなんとなんとの14位。強豪じゃん。
いやね、メンバーの入れ替わりはあったけど、同じ8名でのエントリーで、3時間10分28秒。去年より、8分も速い。僕も心地よく、心臓ばくばくで、アンカーをやらせて貰いました。もちろん8名全員で、お揃いのリープルTシャツを着てゴールイン。僕だけそこに倒れこんでしばらく動けませんでした。
ところでここ、春野総合運動公園ができたのは1987年。昭和62年だから、僕らが高校生の頃はもちろん存在しなかった。1989年の高校総体に間に合わせてつくられた、春野総合運動公園。昭和64年だったので、準備期間中はロクヨン総体と呼ばれでた。ところが、昭和64年1月に昭和天皇が薨去されて年号が変わってしまった。そこで、ロクヨン総体はガンネン総体になった、という歴史、覚えてますか?
春野の陸上競技場ができる前、僕らが高校生の頃はどこで県体の陸上競技とかやってたんだろう、と、陸上競技には縁もなかった僕らは思ってしまう。あの頃は、現在のりょうまスタジアムが、今と同じく競輪場兼陸上競技場で、陸上競技は競輪の日程を避けて行ってたような記憶があります。市営のグランド、野球場、水泳場、相撲場が集まる、当時の高知県のスポーツの中心は、あそこだった。筆山の北側。
で、土電の電停は、「乗出」から「グランド通り」になった訳です。
昔のことは忘れていく。けど、このリレーマラソンで皆んなが頑張ったような記憶は、いつまでも大切な宝物として心の中に強く印象付けられて残っていくんだと、思う。高校の頃の陸上競技場の記憶はまったく無いけど、中一の時に吹奏楽コンクール高知県予選で勝ったときの、城東中学校体育館は、よく覚えています。
良い日曜日。本当に、良い日曜日を過ごしました。夜の打ち上げは、また、盛り上がる。