湿田、十石舟、コスモス畑〔5700〕2018/11/23
2018年11月23日(金)快晴!
勤労感謝の日。勤労に感謝する為、会社に出てきてます。昨夜は野市で会合があり、車を会社に置いて帰ってたので、今朝は久々に走って出勤してみました。ああ。気持ち良かった。うんと気持ち良かった。
高知市東部土地改良区。ここは、だいぶ前から秋になるとコスモス畑になります。もちろん普段は水田。高知市の市街地に近いけど、こんなにも広くて美しい場所に恵まれているのは、ここが市街化調整区域であるからに他なりません。おかげで、良田とコスモス畑が、美しく残った。
ここは元々湿地帯。海岸平野。地理院地図の土地条件図で見ると、こう。土地条件図の凡例を読んで見ると、こう書いてある。
「海水面の低下によって海底が陸化した平坦地や、河口部にあって砂や粘土等が堆積してできた平坦地」
そんな土地。で、バイパス沿いやその北側には住宅や店舗が密集する街。そんな住宅地は、土地条件図では盛土地・埋立地となっていて、「低地に土を盛って造成した平坦地や、水部を埋めた平坦地」だ。
ここの湿地帯は、戦前戦後を通じて、高知市の穀倉地帯として発展しました。縦横に水路が走り、その水路や池沼を「十石舟」と呼ばれる舟が往来する。湿田の、田舟。
元来日本では、乾田よりも湿田が多かった。もちろん乾田の方が生産性は高いのであるが、湿田は水の供給が簡単であることもあって、稲作の中心となったらしい。
ここは湿地帯。こんな風景を想像しました。
湿地帯で、水路状に土を掘り、掘りあげた土を盛る。盛り土にする。その盛った土の上で田植えをし、稲作をする。掘った部分が水路となり、そこを農作業用の舟が往来する。
たぶん、ここにはそんな風家があったんだと思います。
昭和40年代になって、農業の近代化が急速に進み、湿田の生産性の低さは課題となる。また、舟を使って行う農作業も、大変。そして湿地帯であるが故に、水害にも弱い。
そこで、平成8年頃から土地の改良が行われ、見事な乾田が広がる良田になったのでありました。そんなことを書いた記念碑が、誇らしげに建てられてます。
田んぼで使う水はというと、ポンプアップされてます。こんな感じで。
ああ。この写真を撮ったのは2011年3月11日の朝だ。その日に、あんな大災害が発生するとは夢にも思っていない、朝。
それにしても、この風景。航空写真で見ると、こう。僕が生まれた頃の航空写真は、これ。航空写真では湿田の在りようがよくわからんけど、この田んぼの北側で凄まじい都市化が進んだことは、よくわかります。
これから人口減少社会の中で、どんな風景になっていくんだろうか。
ともあれ、朝日を浴びる美しいコスモス畑を駆け抜け、会社まで走りました。こんな美しいコスモス畑をつくってくれているお百姓さんの勤労に、感謝します。そして今日もお仕事頑張ってくれている皆さんに、感謝しつつ、僕も仕事仕事。