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片坂バイパス、井上陽水〔5696〕2018/11/19

片坂バイパス、井上陽水

2018年11月19日(月)小雨

片坂バイパスが、四万十西インターと黒潮拳ノ川インターの間で開通。この週末は渋滞するくらいの車が押し寄せたにかありません。久礼坂がバイパスになった今、最後に残ったクネクネ国道、片坂がバイパスによって一直線になった訳で、なかなか画期的な事件でありました。

高知から郁と、四万十東で一旦高速を降りて窪川の街を通り、そして四万十西で今一度乗って片坂バイパス。

幡多地方に多くの酪農家さんを抱える弊社としても、この開通は喜ばしいこと。

 

で、現時点での終点、拳ノ川は黒潮町。だけど、以前は佐賀町だった。佐賀町と言えば井上陽水。そう。井上陽水のお父さんが佐賀町出身、というのは有名な話で、陽水も、里帰りコンサートをやってくれていたりします。

 

最新号の「土佐史談」に「陽水と秋水」という文章が掲載されてます。井上家と幸徳家のつながりなどを教えてくれる、佳文。

井上陽水のお父さんは井上若水さん。いのうえわかみ、と読む。佐賀浦で旅館などの商売を営む井上廣之助、母小竹の長男として生まれた若水さん。なかなか複雑なんですが、佐賀の井上家と中村の幸徳家は、縁戚関係になるんだそう。

陽水の祖父、廣之助さん、昭和の初め頃、商売がうまくいかなくなる。で、一家で佐賀を出奔し、関西方面で生計を立てたのでありました。昭和9年頃、若水25歳のこと。

若水さんは歯科医の見習いになり、京城に渡って修行を続けて歯科医の資格を取得し、さあ、開業というところで招集。陸軍の衛生兵となって、南方に送られ、ブーゲンビル島で終戦。

 

その頃、若水さんの妻、フジさんは京城から実家の福岡県直方に引き上げており、そこに復員してきた若水さんも合流。直方の隣町で歯科医を開業。

そして昭和23年、長男の陽水(あきみ)誕生だ。

そんな訳で福岡県で生まれ育った井上陽水だけども、父の、故郷への思いは、強く感じ取っていたらしい。

 

歯科大への受験に失敗を重ねるうちに、音楽で身を立てることを決意した陽水は、アンドレ・カンドレという名前でホリプロからデビュー。この時、小室等とか忌野清志郎とか星勝とか、重要な人たちと親しくなってますな。あんまし売れんかったけど。ポリドールに移籍して「井上陽水」となり、「人生が二度あれば」を出す。その後に出したアルバムにあの「傘がない」が収録され、そしてヒット街道を邁進したのはご承知の通り。

 

「人生が二度あれば」

父は今年2月で、六十五

で始まるこの歌。昭和47年3月発売。井上若水は明治41年生まれで、計算すると満64になるけど、それはそれ。明治41年生まれというのが間違ってるのかも知れませんね。で、その頃、父の若水は、故郷の佐賀町に請われで、佐賀町での歯科医院を開業準備中だったそう。その父への思い、労いもなったんだろうか。ところがその父は、その年の6月に亡くなってしまう。陽水の大成功を見ることなしに。ああ。人生が二度あれば。

 

この文章を読んでいると、陽水の父、若水には小春さんという妹がいたことがわかります。その小春さんは、昭和19年、神戸で亡くなっている。だから、昭和23年生まれの陽水は、小春おばさんにあったことは、ないんだ。

 

片坂バイパス開通で沸く、旧佐賀町。若水さんや陽水は、どう感じてるだろうか。小春おばさんも。


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