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手結坂の御茶屋と餅屋〔5681〕2018/11/04

手結坂の御茶屋と餅屋

2018年11月4日(日)良いお天気

日曜日。日曜市もやってるし、ふるさとまつりもやっている、秋の高知の日曜日。朝、会社へ行っていたので、ついでの餅に少し足を伸ばして手結。てい。手結坂。

そう。昨日、阿讃国境の猪ノ鼻峠をご紹介したので、今朝も峠を攻めてみました。手結坂の峠。

 

今は国道55号線に大きなトンネルがある。手結山トンネル。そのトンネルの上は、標高110mの手結山。トンネルの上の鞍部を、かつて、土佐の中央部と東部をつなぐ重要感線路が通っていた。

高知の城下から手結までは、浜街道やら下田道やら遍路道やら、とにかくたくさんのルートが用意されており、人々は、一番良い道を選択できた。ところが手結山を越える道は、この往還だけ。いろんなルートを通ってきた人たちが、皆、ここに集まって、手結坂を登る。

だから、非常に交通量の多い峠であったことは想像できます。

 

手元にある「土佐の峠 風土記」には、その峠には藩主の御休憩所である茶店が常設されていた、とある。二代藩主山内忠義公によって設置せられたという茶屋で、御茶屋番役という役目が任命されたのでありました。当初の番役は山伏の右京。その後変遷を経て、延宝八年(1680年)には沢新右衛門という人物が番役に就任。それ以来、代々の番役を沢家が引き継いでいったのである。

写真は、その、番役が住んだ御茶屋跡。ここで代々の藩主は、休憩しました。

 

なんと、今も、その沢家のご子孫が住まわれていると聞きます。御茶屋はやってないけど。その御茶屋の沢家から、天保八年(1837年)に分家して餅屋を開業したのが、沢辰造さん。

 

明治の世になって藩主が通ることもなくなり、藩主が休憩する御茶屋はなくなってしまった。けど、分家の餅屋は営業を続け、明治27年、少し低い場所に県道が通ると、その県道沿いに移転。そして、国道にトンネルができてからは、そのトンネル西口に移転して、今も、おいしいお餅を作り続けています。手結山の餅と言えば、高知県人で知らん人はおらんだろう。

「手結山の餅」「お茶屋餅」と普通に呼んでいるけど、今日、改めてお店の看板を見てみたら「澤餅茶屋」と書いているではないか。知ってました?

 

「土佐の峠 風土記」には、林道手結・羽尾線の付け根から左上方に上がっていく良く踏まれた道が、その、藩政期からの往還であると書かれています。しかし。現在のその道は鬱蒼とした藪が生い茂り、なかなか人を寄せ付けない。なんとか、意を決して藪を漕いでくぐり抜けると、荒れ果てているけど驚くほど広い山道に。往時の交通量を偲ばせる広い道。荒れ果てて、最近誰も通った形成ないけど、これぞ、毎日おびただしい人馬が通行した往還だ。その道を上ってゆくと、この写真の場所に、出る。

この塀の場所が、藩主が休憩する御茶屋があったところ。

 

ここから、この、広いけど荒れて藪が茂る道を下ってゆく。すると、左手の山肌に立てかけられた古い説明板。「琴風亭あと」。茶店として明治24年頃まで営業していたという、琴風亭。

この峠界隈には、藩主の御茶屋や餅屋以外にも、たくさんの茶店が並んで賑わっておりました。そりゃあそうだ。土佐でも有数の交通の要衝だから。

その琴風亭は、明治7年、佐賀の乱に敗れた江藤新平が立ち寄ったお店として有名。逃走中、手結山を越え、琴風亭でお茶を飲み、餅を食った江藤新平。そこで出した高額紙幣から足がつき捕縛されるきっかけになった、という言い伝えなんかも、ある。歴史のひとつの舞台となった、琴風亭。

 

手結山は、今はトンネルでひとくぐり。でも、そのトンネルの上には、たくさんの人馬が毎日行き来した往還が、今も、残る。

藪がはびこり、誰も通らない、古の往還。こんなにも身近な場所に、昔の風景を想像させてくれる峠が、残っていました。

せっかく手結山をたつくったので、文字通りついでの餅に、手結山の餅、買うて帰りました。車の中で早速3個、食べてしまった。おいしかったです。


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