お祭りとイベント〔5599〕2018/08/14
2018年8月14日(火)晴れ!
よさこいも終わり、鎮守の森は、静かになってきた。
ここは今朝の野市、上岡八幡宮。鎮守の森では、こないだまでのクマゼミの喧騒がすっかりとなりを潜め、小さな虫たちの涼しげな声が聞こえてくるようになりました。
お盆。全国的にはお盆で、お盆休みの会社も多いこの時期。高知では、よさこいに合わせて休みを取ったりする場合も多いので、全国とはお休みが少しズレていたり、します。
毎年、お盆直前に開催されてきたのが阿波踊り。8月12日、13日がメイン。その阿波踊りへの観光客を引っ張り込むことも想定していたんだと思う。よさこいが8月10日、11日になったのは。黎明期のよさこいは、阿波踊りを完全に意識してましたね。
独自の発展を遂げたよさこいは、今ではあまり阿波踊りを意識することはなくなったと思います。憧憬、目標であったものから、違うジャンルのもの、というふうに意識が変化してきたんだと思う。リスペクトはありつつも。
阿波踊りの起源は蜂須賀家に由来するとか、色々言われてます。大衆のエネルギーを発散させる場として、行政側が始めたものとも言えるかも知れません。でも、お祭り。そう。阿波踊りはお祭りだった。大衆、民衆は、その踊りの場に情熱を注ぐことによってエネルギーを爆発させた。年に一度の爆発によってガスを抜く、という一面もあり、また、それぞれのアイデンティティを確立させ、自分というものを確認する、という一面もあったのかも知れません。
お祭り。お祭りはお祭りであり、イベントではない。
よさこい祭りも、僕らが子供の頃は、阿波踊りの観光客を少しでも高知へ引っ張り込もうという魂胆満載の「イベント」だった。その頃は、若者はよさこいにはあまり関心がなく、踊り子さんにお金を払って踊ってもらうチームもたくさん在りました。よさこいが「イベント」だった、時代。
ある時期から、それぞれのチームが独自色を出し、音楽も衣装もそれぞれで、自由に楽しみ始める。すると、若者もそれに引き込まれ、熱中するようになる。「イベント」から「お祭り」になった、よさこい。
阿波踊りの熱狂のように、老若男女は、よさこい独特の空気感の中でエネルギーを爆発させ、ガスを抜き、アイデンティティを確立させ、自分を確認する。お祭りだ。イベントではなく、お祭り。
今朝、阿波踊りのニュースが新聞に載ってました。
阿波踊りの財政を立て直す為に、収入にならない総踊りを中止して、各所の演舞場に踊りを分散させてその収入増を図る、という実行委員会の姿勢に、踊り子たちが反発し、総踊りを強行した、というニュース。なるほど。
「イベント」と考えるのか「お祭り」と考えるのか。その考え方の差は、簡単には埋まらんでしょうね。価値観の違いなので。
踊り子さんたちにしてみれば、そんな強制は、お祭りの本質からすれば本末転倒だと思うでしょう。だって、お祭りなので。お祭りを楽しむ自分たちを観る為に、結果として観光客がやってくる。
新しい実行委員会としてみれば、観光客を集める仕組みを維持するために、踊り子をコントロールする。阿波踊りは観光「イベント」だから。
この状況を蜂須賀の殿様が見たら、どんな判断を下すでしょうね。
そもそもの始めた目的からいうと、殿様は総踊り賛成派ではないかと思う。だって、エネルギーを発散させるためのお祭りだもの。
祭りが終わって静かになった鎮守の森で、そんなこんなを考える、朝。まだ、市商が頑張っているので、高知の夏はつづいているけど。