どこを向いて仕事するのか〔5591〕2018/08/06
2018年8月6日(月)晴れ
広島に原爆が投下されてから73年目の朝。あの日と同じように、夏の日差しと蝉の声。忘れてはならない大切な日。
ここは、今朝4時半過ぎの鎮守の森。上岡八幡宮の、森。鎮守の森は、日本中の神社仏閣にあり、独特の生態系を守る役割を果たしてきました。鎮守の森は、簡単には伐採されない。だから、貴重な生態系が今に残っている森でもある。
南方熊楠が、この、日本の鎮守の森を守るために大きな役割を果たしたことをご存知でしょうか。かの、粘菌学者であり民俗学者であり博物学者である知の巨人、南方熊楠が。
明治末期。日露戦争が集結し、日本は世界の中の「一等国」の仲間入りを果たした、と世論が沸騰した時代。ナショナリズムが高揚し、日本は偉い!という感情を持つことが心地よくなった時代。そんな時代に、国によって、神社合祀政策が推進されました。
全国各地に所在する神社。産土神であったり祖先神であったり。日本人の自然発生的自然崇拝が、八百万の神を産み、たくさんの神社が存在するようになりました。しかし、明治末期の政府は、国家神道の威厳を保ち、予算を効率的に配分することを目的として、複数の神社を合祀させたり、摂社という形で遷座させたりして、神社の数を減らそうとする。
当初は、それでも地域の実情に合わせた柔軟な対応を、という姿勢だったのが、第2次桂内閣で内務大臣になった平田東助が、強引にこの政策を推し進め、その進め方は都道府県知事の裁量に任されることになったのでありました。
官僚上がりで山縣有朋の側近になり、大出世を果たした平田東助。まあ、今の世にも居そうな、上を見て仕事する人物だったのは間違いないですな。官僚、政治家だけども、どこ向いて仕事しているのか、という男だ。
で、この政策を受けて、また、上を向いて仕事する知事が居た県は、不幸でした。そんな知事が神社合祀を進める。三重県では9割の神社が廃止されたと言う。和歌山県もそれに次ぐ勢いで合祀が進められたが、これに猛然と反対したのが、和歌山県田辺に住んでいた、南方熊楠。
地元新聞への寄稿を始め、精力的に合祀反対運動を展開、柳田國男などの賛同を得ながら世論を喚起し、貴族院で「神社合祀無益」との決議を得ることになった。既に多くの神社が合祀されてしまってからではあったけど。この時熊楠が展開した議論の中に「エコロギー」という概念がある。
もちろん社会学的文化的存在としての神社の重要性も説くが、それとともに鎮守の森の自然環境、生態系、原生林の価値などを「エコロギー」という言葉を使って守ろうとしました。日本で最初に「エコロジー」の概念をもった人物が、南方熊楠だった。
結局、全国で7万社の神社が取り壊され、鎮守の森は伐採されて売り払われたと言います。ナショナリズムが高揚し、国家主義が主流になっていく時代には、こんなことも起きてしまうんだと僕らに教えてくれる事件。
ちなみに、高知はどうだったんでしょうか。
実は、最新の調査での人口当たりの神社数を見てみると、高知県は堂々の第一位。人口10万人あたり300社を超え、全国平均の4.7倍なんだって。この数値から見て、高知は、神社合祀運動にはあまり積極的ではなかったことが想像できます。
人口当たりで神社が少ない順に並べると、沖縄県、大阪府、東京都、神奈川県、北海道、埼玉県、宮城県、愛知県、和歌山県、三重県、千葉県、山口県。
沖縄が少ないのは当然。北海道も、明治以前の歴史を考えれば当然。その他は、明治以降に人口が爆発的に増えた都府県で、現代の人口の比で言えば少なくなっているのは当然。そういった都道府県を除くと、やはり和歌山県、三重県、そして山口県。
上を向いて仕事をする知事がおりました。
高知では、あちこちに鎮守の森が残り、セミが鳴く。どこを向いて仕事をするのか。
そう。僕らは、お客様と従業員さんたちとそのご家族を向いて、仕事をする。酪農家さんや仕入先、関係するすべての人々も向かなきゃならない。
どこを向いて仕事をせんといかんのか。そんなことを教えてくれる、鎮守の森の朝。