春野あじさい街道のシンクロ感〔5525〕2018/06/01
2018年6月1日(金)晴れ!
爽やかな風が吹き抜ける朝。まさに、風薫る。
梅雨の晴れ間、ということか。しばらくこんな天気が続くんなら、まだ梅雨入りしてないのかも知れんけど、そこは気象庁の判断を尊重しよう。
で、6月になりました。昨日一昨日、梅雨の雨とアジサイの話を書きました。そして、春野のあじさい街道について、これからの取り組みに期待しよう、みたいなこと、書いた。
で、昨日の高知新聞夕刊を見てビックリ。その春野あじさい街道復活に向けた取り組みの記事が載っているではないか。しかも、1面に、ドカンっと。
近年、あの用水沿いのアジサイに元気がない、と僕も感じてました。それは皆感じてたみたいで、地元ではなんとかしよう、という動きがあった訳ですね。
この記事によりますれば、そもそも、1975年に地元の老人クラブが数十本のアジサイを植えたのが始まりなんだそう。
そんなに昔、始まったんだ。40年以上前。
しかし、20年前のアスファルト拡張工事をきっかけに、樹の勢いに衰えが見え始め、地元住民の高齢化で手入れが行き届かなくなったことも相俟って、少しづつ、勢いを失ってきた、と書いてます。でも、今も5000本のアジサイが咲く、あじさい街道。
そこで、この動画にも登場する西込さんが立ち上がったんだって。偉い。
地元の春野高校を巻き込んで、色んな取り組みを行うようになった、という内容が、朝っぱらから嬉しいではありませんか。
そうか。そんな取り組みが始まったので、それをPR動画にしよう、と、その春野高校の高校生が考えて、あれを作ったのか。事情、よくわかりました。
ライトアップとか、高校のハウスで栽培したアジサイを並べるとかが、現在の取り組み。
これからどんな風に、どんな方向に発展していくのか、期待期待。夢が膨らむあじさい街道。
それにしてもこのシンクロ感。シンクロニシティ。世の中には不意義なことがあるもんだ。
このにっこりひまわりと高知新聞は、かなり親和性が高いと見受けました。
春野のあじさい街道は、野中兼山が開削した吾南用水沿い。
この用水ができたことで、春野は土佐のデンマークと呼ばれるようになった訳だが(知ってました?)、その用水工事は、とんでもない難工事であったと言います。
当時の土木技術は、今思うよりも優れており、その測量設計は見事。でも、実際に工事をするのは民衆で、その労苦は計り知れないものがあったと言う。
そして、そのメンテナンスがまた、後世の人々の宿命となり、のしかかって来た話は、あまり有名ではないけど大切な話。
こういった人々の努力の末に、春野が豊かになった。そしてその豊かな農地の象徴としてできたあじさい街道。それをまた、地元の人々が見事に膨らませてきた。
しかしそれは、今の人々が、メンテナンスと発展の宿命を負うということ。
大変だけども、若い力と発想が、良いあじさい街道をつくっていってくれると信じてます。
地域の人がこの用水を作り、400年守ってきたように。