濁れる水のなかれつゝ澄む〔5468〕2018/04/05
2018年4月5日(木)薄曇り
松山ぞなもし。ぞなもし、という伊予弁を実際に使う人に会ったこと、ない気がする。いなかっぺ大将のニャンコ先生が、「ぞなもし」の一番の使い手であったかも知れない。知らない人はゴメンナサイぞなもし。
昨日、お客様の会合で、やって来ました。高知からもどっさり来てましたね。会場のホテル、超満員。松山支店のH君と一緒に参加してまして、終了後、二人で今治焼鳥のお店へ。松山でも、本格的今治焼鳥が食べられるお店。ご主人はもちろん今治出身、今治西高校出身だ。
H君、本当に頑張ってます。厳しいお客様にも鍛えられながら。彼の本領は、牛乳のおいしさを伝えること。
入社試験のとき、自分は牛乳が好きで好きでたまらないんです、というアピールをしたH君は、牛乳の味にもうるさい。
で、愛媛県の、カフェ、レストラン、ホテルなどなどに、ひまわり低温殺菌牛乳のおいしさ、良さを伝える伝道師になりました。
実は、昨夜泊まったホテルでも、朝食にはH君売り込みの、ひまわり低温殺菌牛乳が付くのであります。素晴らしい。それまでは某社のLL牛乳を使っていたとかで、飲み比べてみて、即断して下さったそうです。これを使おう、と。
そんなH君を労いながら、牛乳のおいしさについて、語らった今治焼鳥の夜。
今朝はホテルを5時に出て、RUN。今朝一番の目的地は、ここでした。一草庵。以前にも来たこと、あります。
一草庵は、種田山頭火さんが、最晩年を過ごした場所。
自由律俳句の巨人、山頭火。酒に飲まれる性格であったこともあり、数奇な運命を辿った俳人。その人生があって、彼の作品が、ある。土佐を含む四国も、行乞してまわりながら、たくさんのすぐれた句を詠んでいるのはご承知の通りで、池川の句碑も、以前ご紹介しました。
そして最後にたどりついたのが、松山。
松山には、俳句に親しむ風土があり、山頭火さんとしても過ごしやすかったんだと思う。
中央向こう側に見える建物が、山頭火が暮らした庵。御幸寺というお寺の、納屋。そこに、松山の俳句愛好家たちの好意で住み、寺の雑事をこなしたりしながら俳句を詠む。
その数奇な人生に比して、とてもおだやかな晩年となったのが、山頭火。
この句碑には
濁れる水のなかれつゝ澄む
この庵から南へ下がったところを、小さな川が東西に流れる。その濁れる流れのように心を曇らせ、そこから自己を取り戻そうとしていく山頭火。
尾崎放哉の悲惨な晩年に比して、幸せな時代を過ごした山頭火の願いは「コロリ往生」。その願いを見事に成し遂げて、皆と楽しく飲んだ翌朝、コロリと往生していた山頭火。
濁っていた水は、いつしか、澄み切っていたのか。
深い。人生、そうありたいとも、思う。
そんなこんなの早朝RUNを済ませ、松山支店へ。
勤続25年の表彰を受けられる事務員さんが、一人います。朝礼で、表彰式をやってきました。嬉しいですね、これは。とても喜んでくれたし、僕も、本当に本当に嬉しい。皆の笑顔が溢れる会社。
そう。空気感空気感。