PASSAGEオープンと、種田くん〔5434〕2018/03/02
2018年3月2日(金)晴れ
ここは今朝、5時過ぎの帯屋町。出勤途中に撮影。まだ、この界隈の5時過ぎは夜の続きをやっている人も居ます。左端に少しだけ写っているおんちゃんも、まだ、夜をやってました。
そのおんちゃんが居るのは、コンビニの前。以前リブロードがあった場所にホテルが建ち、その一階部分が銀行とコンビニになりました。そのコンビニは、この右手にあったものが移転したもの。
で、以前コンビニがあった場所には、こんなお店とうどん屋さんに。県内でいろんな飲食のお店を展開しておられる方が、ここにうどん屋さんと、こんなお店を開店させたのでありました。昨日がオープン。
このお店、昼間はカフェ。夜になるとお洒落なバール。弊社の生クリームを使った美味しいケーキも作って売ってますので、ぜひぜひ皆さんも行ってみてください。
で、昨夜、ご挨拶も兼ねて飲みに行きました。スペシャルなイベリコ豚の生ハムと、ピザ。美味しかったです。場所の便利なので、これから使わせていただこう。
で、カウンターで飲んでいたのですが、隣に座ったご夫婦に、「ブラタモリに出てましたよね」と声をかけられました。ここまではよくある話だ。こっからの展開が、すごかった。驚愕。ご夫婦の男性の方が、昔、僕らが演奏したライブに来てた、という話をされ、その時のギターが自分の兄です、とおっしゃるではないか。おう、種田くんだ。
種田くんは、高校を卒業する頃から知ってます。僕がやっていたよさこい祭りのバンドに、ギターの上手い高校生としてやって来たのが最初だと思う。その当時は、まだ、器用に指が動く高校生、くらいの感じでした。
で、毎年一緒によさこいバンドをやるうちに、どんどん上手くなる。上京し、ギター一本で身を立てようと頑張っていた、種田くんは、僕らの希望でもありました。
よさこいバンドをやらなくなって、しばらく会うこともなかったけど、何年かに一回、偶然に出会って近況を聞いたりしてました。なんでもこなす、ユーティリティプレイヤーとして、東京は人形町に住んで活動を続けてきた種田くん。坂本冬美のバックをこなしたりしながら、頑張ってきた。
で、昨夜、その弟さんに聞いた話では、いよいよ結構メジャーなロックバンドのギター&ボーカルとして、その活躍の場を得た、とのこと。センチメンタル・シティ・ロマンス。
1973年結成で、今も活動を続ける、日本で一番歴史の古いロックバンド、と噂される伝説のバンドだ。数々のメジャーな活動をしてきたバンドの、ギター&ボーカルだって。
そして、なんと、今月17日に高知でライブをやりに帰ってくると言うではないか。本人とも、電話で話しました。センチメンタル・シティ・ロマンスの1973年設立時からのメンバー、中野督夫さんとのデュオで。残念なことに、その日は会社の重要行事があって、観に行けない。ああ。残念。
電話で話したところによると、なんでも、最近はボーカルもやるようになり、作詞作曲もしているんだって。ビックリ。代表作は「人形町へ帰ろう」という歌。人形町に長く住み、人形町を愛してやまない種田くんの、人形町愛の歌。
弟さんに聞きました。
種田くん、毎朝6時に、人形町界隈を掃除する活動をずうっと続けているんだそう。その活動は認められ、中央区長に表彰もされたんだと言うておりました。すごいではないか。そんなミュージシャン、聞いたことないぞ。でも種田くんは、そんな人だった。お人柄、倫理観。誰からも愛される種田くんが、高知でライブをするのか。こんな感じで。
お世話になっているお店のオープンにお邪魔して、とても良い方とお隣になり、驚愕のお話を伺った。人生、本当に面白い。良い夜でした。ありがとうございました!