天神橋通り商店街ー今昔物語ー〔5355〕2017/12/13
2017年12月13日(水)冷やい
シビコオル カチバリツイタ オオヒヤイ
多分、この冬一番の冷え込み。山は雪。高知自動車道は雪で止まってます。これっぱあの雪で通行止めになる高速道路は、全国でもここだけ。なんとかして欲しい、日配品メーカーです。
冬ですきんね。冷やいのは当たり前で、冷えんと困る人も多いので、季節は季節らしくあるのが、良い。
ここは今朝4時半頃の天神橋通り商店街。昔、こんな名前で呼んでましたっけ?この商店街。天神橋と大橋通りの間、電車通りの南にある商店街。そもそもここが「商店街」という認識、なかったかも知れない。
手元の、昭和四年六月調査、「高知市堀詰南部現住者名図」を見てみると、ここも全部大橋通り。昔は天神橋から北がずうっと大橋通りでした。
現在の大橋通りが「大橋通り」という名前で有名になったので、電車通りの南は違う名前で自己主張しよう、ということになったのかも知れません。
昭和四年六月現在に名前が見え、今も同じ場所に住んだり商売したりされている名前、いくつかあります。住友さん、野口さん、下村さん、中谷さん。他にもいらっしゃるんでしょうね。戦争を挟んで、連綿と続く文脈。
ひまわり乳業(高知牛乳)は、南与力町に本社、工場がありました。工場があったので社宅もあり、寮もあり、若い独身者から家族連れまでが住んでいた、南与力町。
親子二代で弊社に勤務してくれている社員さんも居ます。二代目の方の中には、子供の頃に南与力町の社宅に住んで、追手前小学校に通っていた、という社員さんも居る。製造部門のO君や、品質管理室のO君が、そう。物流センターのT君も、そうか。
もちろん僕も、そう。工場の社宅から、追手前小学校へ走って通った懐かしい日々。
二代続けてひまわり。嬉しいではありませんか。しかも、南与力町の社宅を覚えているとは。嬉しい限りでございます。
南与力町から追手前小学校へ通うには、必ずここを通りました。ここから大橋通りのアーケードを抜け、今のひろめ市場の東を通って追手前小学校西門へ。
追手前小学校は既に無く、ここを歩いて通う小学生も居なくなったのか。
今、この商店街には、この左手のように、「天神橋通り商店街ー今昔物語ー」と題した写真を展示してます。昔の、この界隈の風景写真。貴重な貴重なアーカイブ。僕が小学生の頃よりも、もうちょっと前の時代にかありません。両側の歩道にたくさんの昔の風景写真が掲げられているので、どっかに知った人が写ってないか、思わず見入ってしまう。でも居ませんでした。
懐かしい風景。でも、僕の記憶にある駄菓子屋さんの写真はありませんでした。
今朝の写真の右端。その辺にあった駄菓子屋さん。なんと言うんでしょうか、ガラスケースに飴玉とかがたくさん入っていて、ガラスの蓋を開け、スコップで掬って紙袋に入れる、量り売り。
社宅の近所の狭い駄菓子屋さんとは違い、本格的な駄菓子屋さんで、町内の駄菓子屋より格上という僕らの認識。その駄菓子屋さんのことを、南与力町の子供達は「コーヤジ」と呼んでました。その駄菓子屋さんへ行ってくることを「コーヤジへ行ってくる」と言うていた。
この東側に名刹高野寺があるので、誰かがいつしか呼び始めた「コーヤジ」。正式な店の屋号はまったく記憶にない「コーヤジ」。
南与力町の小学生にとって「コーヤジ」と言えば高野寺のことではなくて駄菓子屋さんのことだった。
今は昔。
でも、代々ひまわり勤務という社員さんが居るように、昭和四年からここに暮らす家族が居るように、連綿と、どこかで、歴史の文脈はつづいていく。