創造的復興〔5347〕2017/12/05
2017年12月5日(火)晴れ
熊本地震が発生したのが、昨年2016年4月14日と16日。もう、一年半になるのか。断層運動による地震で、熊本県を中心に大きな被害が出たのはご承知の通り。
特徴的なのは横ズレ。
四国でも、吉野川や愛媛自動車道、佐田岬半島を東西に走る中央構造線という長大な横ズレ断層は九州まで続き、熊本界隈で蜘蛛の巣のような断層を形成する。
なので、今になってみれば、十分有り得る地震だということがわかるけど、多くの人々にとっては予想外の地震であったことも、事実。
地理院地図では、地震後に明らかになった網の目のような断層図を確認できます。断層の、巣。
今朝は熊本。出張できてます。
写真は朝の熊本城。眼下に坪井川。
この地理院地図土地条件図でもわかるように、熊本城は、洪積台地、つまり更新世段丘の上に立つ。江戸城、名古屋城、大阪城と同じだ。洪積台地の先っぽという立地は、平山城をつくるのに最適であったことが、この熊本城を見てもよく理解できる。
地盤が比較的固い洪積台地ですが、激しい横ズレを伴う断層地震では、さすがに大きな被害が出ました。熊本城で、多くの石垣や櫓が崩壊した姿は、人々に大きなショックを与えましたよね。
熊本城という城は、やはり、熊本の人々にとって特別の思い入れがあったのでしょう。熊本地震を象徴するような、あの崩壊石垣の風景。
今、急ピッチで復旧作業が進む熊本城。向こうに、仮設足場で覆われた天守。工事用のクレーンが屹立する。
手前の川は坪井川。坪井川と白川の流路を変えることで内堀外堀をうまく形成し、城下町を作ったのが加藤清正、という話をブラタモリでやっていたような記憶があります。その辺の地形の話は実に興味深いですが、それはまた、今度。
昨日、熊本県の震災復興についての話を聞きました。あのショックから立ち上がり、復興していく話。考え方は「創造的復興」。「創造」という単語が示すように、新しい都市計画で、新しい社会のあり方を目指すもの。
思い出すのは関東大震災の後の後藤新平ですよね。
後藤新平は、帝都復興を、パリやロンドンのような都市作りの契機と考え、当時としては驚くほど壮大な復興の絵を描いた。もちろん既得権益を持つ人たちや、そのスケールが想像の外にある人々からの猛反対もあり、失脚することになるけど、その考え方や復興人材は継承され、現代東京のつながる都市の形態ができあがったのは、有名。創造的、復興。
熊本も「創造的復興」を掲げ、この災害を逆手に取って、未来の熊本を描いていこう、という訳だ。熊本城は、そのシンボルかも知れない。
逆境だからこそ、できること。
世の中には、逆境であったからこそ成し遂げられたことが、あまりにも多い。だから、チャンスと捉え、頑張っている姿は、間違いなく正しいと思います。
そんな熊本。満月に照らされる未明の熊本城。