蟹ヶ池とカツ丼〔5313〕2017/11/01
2017年11月1日(水)晴れ!
今日は横浪半島へお仕事。宇佐から横浪半島へ橋を渡り、しばらく行くと竜の浜。そこから西へ入っていくと、36番札所、青龍寺。そのお寺さんは、蟹ヶ池という池の畔にたたずむ古刹。
で、写真は、その蟹ヶ池。
向こうに見えるのは明徳義塾高校竜キャンパス。その向こうが道路。その向こうが海だ。浦ノ内湾の出口。
地理院地図で見ると(またか)、その道路の標高は5.7mくらい。で、蟹ヶ池の畔の標高は2m。そう。海への出口が少し高くなることで、海と隔てられた池ができてます。この地形が、ポイントだ。
もう、退官されましたが、南海トラフ地震に詳しい岡村先生という方が、高知大学にいらっしゃいました。岡村先生は、この蟹ヶ池の調査もされてます。
南海地震の大津波は、あの道路を越えてこの池に流れ込んでくる。その際、土砂を堆積させます。その堆積した土砂の量で、津波の規模が概ね推測できる、というもの。
こういう、津波のときだけ土砂が入ってくるという特殊な地形である為、そんなことができるんですね。たいしたもんだ。
で、そんなこんなの研究で、過去7000年の間に少なくとも16回、宝永南海地震級の大津波がおきていたことを突き止めました。有史以来、最大級の地震津波と言われる宝永南海地震津波。
しかも。今から2000年前には、その宝永南海地震をはるかに超える規模の津波が発生していたことも、わかった。その証拠を示したのが、この蟹ヶ池の地層。そこに目をつけた岡村先生も、すごい。
こないだのブラタモリでもやったけど、高知の、東西に延びる山々は、フィリピン海プレートがユーラシアプレートに潜り込む圧力でできた、皺々。そして、まだ、そのメカニズムは完全には解明されてないけど、室戸岬や足摺岬は地震のたびに隆起、県の中央部は地震のたびに沈降、というのを繰り返してきてます。横浪三里が半島で、浦ノ内湾が海なのは、陸地が沈降して海になったからなんですね、たぶん。
そう。長期的に見ると沈降する地盤。この、海沿いだけど海とは隔てられた池は、そうやって沈降していく場所にあるからできた池、とも言えましょう。沈降せんかったら、津波で運ばれてきた土砂や、山から流されてきた土砂でしゅっと埋まってしまいますきに。
高知県が、東西の両端で隆起し、高知平野や浦ノ内で沈降する理由。そこには壮大な地球のドラマがあるのかないのか知らんけど、こうやって過去の地震津波の規模を推測するのにとても役立っている、という訳だ。
美しく、良い、池です。
今日は、仕事がすんで宇佐を帰っていると、丁度お昼。
よし。宇佐で昼食にしよう。帆竿というお店。夜は居酒屋で、行ったことありますが、お昼は初めて。地元のおじちゃんおばちゃんで賑わってましたね。特におばちゃんが、多い。海老フライ定食が有名で、うるめ丼もおいしいとのことでしたが、本日は残念ながらうるめは入ってませんでした。カツ丼も美味しい、と聞いていたので、カツ丼。
美味しかったです。ボリュームもあって。
とても有意義でした。横浪半島、宇佐の旅。