バーベキューシートは、良いね〔5243〕2017/08/23
2017年8月23日(水)晴れ!
まあね。そういうことだね。
昨日。夜、高知ファイティングドッグスの試合をバーベキューシートで観るので、にっこりひまわりはそれに差し替える予定、てなことを書いてしまった。でも、差し替えられることはなかったのでした。
昨夜はお天気も良くて、実に良い野球観戦日和。なので、観戦バーベキューが中止になった訳でもござらん。もう一つの予想された不測の事態、つまり、酔うてしもうて更新ができんかった、というのが、該当します。それくらい面白かったということだ。そういうことだ。
いや、ホント、面白かった。平日の夜ですが、熱心なファンが一塁側を中心に陣取る。300人くらいでしょうか。で、件のバーベキュー席は三塁側。客席の一番上の部分にせり出すように設えられたテラスみたいな場所。野球中継があったりすると、カメラ席になったりする、あの場所。
そこでやりました。ぐっすり。焼肉三昧で、ビールビール。持参した発泡系の日本酒もおいしかったです。
ああいった楽しみ方は、これからの高知の地域スポーツを考えていく上で大切なことだと思いました。地域の一体感というのは、ああいう場所で醸成されていくんだ、と、実感しました。
などと真面目なこと書く以前に、ホントに楽しい。
写真は今朝の高知球場。正確には高知市野球場。僕らが学生の頃は市営球場と呼んでいた場所。今朝は高校生とかがやってきてました。そうか。もう、新人戦が始まるのか。甲子園では今日が決勝。
この球場は、古い。
いつ頃からあるのかは謎だが、これを見て欲しいです。
陸軍の参謀本部による、明治40年作成、昭和8年修正測図という5万分の1の地図。この地図の、現高知市野球場の場所を見ると、ほらね。
点線で囲まれたりしているので、ちゃんとした観客席があったのかどうかはわからんけど、紛れもない野球場。いや、この図だと、内野スタンドはありそうな感じ。
昭和の初めに、ここで、高知の野球が黎明の時代を過ごしていたのか。
ちなみに、戦前には、高知県から甲子園に出場した学校は、ない。
甲子園大会の前身である全国中等学校優勝野球大会が始まったのが大正4年。四国大会で優勝しないと出場できなかった時代。
戦後になり、昭和21年の大会で、城東中学が四国大会を制して出場したのが、高知県勢として最初の甲子園だ。
その時出場した、華麗な守備を誇ったスター内野手が、僕らが中学校の時に野球部の監督をしていたクマチョー先生だ、という話を聞いたことがあります。当時はもう、スター選手の雰囲気は全然醸しだしてなかったけど。
で、この「市営球場」は、高校野球予選が行われたりプロ野球のキャンプ、オープン戦が行われたり。中学生のとき。
中高一貫の僕の学校が県予選の決勝とかに出ると、学校から重い楽器を担いで、市営球場までふうふう言いながら歩いたことを思い出す。
阪急のキャンプでは、少年野球教室があって、福本選手に外野フライの捕り方を教えてもらったことも、ある。
そんな思い出深い市営球場。いや、今は高知市野球場か。
高知のスポーツ文化の中心として、ここに在りつづける野球場。
バーベキューシートは、良いね。