貸しボートとオールと艪と〔5185〕2017/06/26
2017年6月26日(月)曇り
月曜日。早朝の鏡川。潮江橋北詰から、西の方向を撮影。
僕にとっては懐かしい風景。この界隈で、子供の頃、遊びよりました。当時、色んなことをして遊びましたが、少し贅沢な遊びに「ボート」があった。貸しボート。この鏡川には何軒かの貸しボート屋さんがあって、日曜日ともなると、結構繁盛しておった記憶があります。
ボートを漕いで往来するのは、上流は沈下橋、下流は九反田橋の東まで。それでも、なかなか楽しい娯楽でございました。
僕らの世代は、だから、今の若者よりもボートが漕げると思います。間違いなく、上手に漕げます。びっしり漕ぎよりましたもん。
この写真の右手にも、一軒、ありました。貸しボート屋さん。天神橋北詰の西側にも、ありました。日曜日になると、たくさんのボートが川面を行き来する風景。今では想像もつきませんな。
あの、オールで漕ぐボートというのが娯楽用に普及したのはいつの頃からなんだろうか。ワセダクラブのホームページによりますれば、明治35年に、早稲田の学生数人の仲間が浅草橋の貸しボート屋でボートを借りて練習を始めたのが、早稲田大学漕艇部の始まりと書いちゃあるので、それ以前から貸しボート屋はあった訳だ。
では、江戸時代には貸しボート屋はあったのか。
江戸時代の人々は、結構、娯楽を大切にしてます。特に、池や川など、水辺で遊ぶのは大好き。なので、貸しボート屋はあったのかも、知れません。
でも、早稲田ぼ学生が借りたような、オールで漕ぐタイプのものは無かったのではないか。昔の渡し舟の写真とか見ると、艪で漕いでますもんで、普通。
どうやら、艪の方が推進力が強いにかありません。仕組みから言うて。艪の弱点は、操船するのに技術が必要なことと、バックとかができないこと。
この鏡川の貸しボート屋のボートが艪で漕ぐものだったら、僕らは、よう漕ぎませんでした。当たり前だ。
西鉄ライオンズで活躍した鉄腕稲尾は、子供の頃、玄界灘で、漁師である父親から艪を仕込まれた、と言います。その体験が強靭な下半身と物事に動じない度胸を育んだ、というのは有名な話だ。
艪と言えば。
美空ひばりの「城ヶ島の雨」。この歌はなかなか秀逸で、詩的な表現が多いのが素敵なんですね。
利休鼠の雨がふる、とか。利休鼠の雨。どんな雨なのか、想像できます。
で、歌の途中から調子が変わって。
舟は~ああ 艪で遣る
艪~は歌で遣る
歌は船頭さんの 心意気~
美空ひばりの「城ヶ島の雨」と書きましたが、元々は北原白秋作詞の歌で、色んな人が歌っているのをひばりちゃんも歌ったのであります。良い歌。やっぱし、北原白秋は最高だ。
手漕ぎボートは技術的に簡単で、誰でも操船できるが、推進力のある艪は、技術が必要、という訳ですな。誰でもできることより、自分しかできない技術。
歌は船頭さんの心意気。