坂東組の長い飲み会〔5036〕2017/01/28
2017年1月28日(土)晴れ!
こないだもありましたね。深夜の写真。このにっこりひまわりのルールでは、その日に撮影した写真を必ず使う、というのがあります。昨夜、街に出てまして、家路についたのは今日になってから。日付が変わってました。今日の午前0時15分頃だったと記憶しますが、帰りがけに、堀川に架かる大鋸屋橋の上で写真を撮りました。
かなり水位が下がり、堀川の底が半分以上陸地になっちょったので、撮影したのだと思います。たぶん。左手に高知市文化プラザ「かるぽーと」の巨大な建物が、見えます。
そんなに遅くまでやっていたのは、坂東眞砂子さんを偲ぶ飲み会だったから。
直木賞作家、坂東眞砂子さんは、今から3年前の1月27日、高知市内の病院で天に向かって旅立ちました。高校の4年先輩。ひょんなことで知り合うことになり、高知へ戻ってきた時には、いつも、飲み会にお付き合いさせて頂きました。僕は、坂東さんの手下を自認していた。
坂東さんを囲んで飲んでいたメンバーは、新聞社関係、歴史関係、民俗学関係の面々。旧鏡村の奥の奥、樽の滝の「樽の滝荘」を坂東さんが購入し、おしゃれに改装してましたので、そこでもビッシリやりました、宴会。
高知の街中で宴会をする場合は、「ゆう喜屋」さんという美味しいお店に決まってました。そこで、夕刻から深夜まで、ひたすら飲む。歴史談義や民俗学談義をしながら、ひたすら旨い日本酒を飲む。長い長い時間飲み続ける。それがいつもの坂東組の宴会だった。
そんな訳で、命日になる昨日、たぶん天から降りてきてくれた坂東さんと一緒に、いつものように遅くまで宴会をしていた、という訳です。
懐かしい話が、いっぱい。
どうやら、僕が坂東さんの手下になったのは2007年。で、その翌年、大豊町の大田口にある大豊町立総合ふれあいセンターで、坂東さんが書いた「鬼神の狂乱」という小説の出版記念シンポジウムに、坂東さんの鼎談相手として指名されてます。僕と、高知県立歴史民俗資料館のU学芸員。
有無を言わせない指名。何をしゃべったのか、まったく覚えてません。
そのU学芸員も、昨夜、飲みました。へべれけになるくらい、飲みました。へべれけになるくらい飲むのが、坂東組の宴会の流儀でしたから、正しい飲み方。
坂東眞砂子さんの作品は、どれも、すごい。直木賞作家ですから、すごいのは当たり前かも知れませんが、上記の「鬼神の狂乱」や、直木賞を受賞した「山妣」など、終盤の大迫力と圧巻のエンディングは、他の追随を許しません。また、読み返してみたくなった。
坂東さんは、人間関係など、好き嫌いがこじゃんとハッキリしてまして、その潔ぎ良さが、心地よかった。メインストリームではなく、少し離れた場所を歩くことが好きだった。真ん中を堂々と歩く作家さんとかとは、少し距離を置く。男だったら、あれぞ、「いごっそう」でしょうか。色んな意味で、面白かったです、ホントに。
根っこには、非常に優しい心根が、ありました。
好きなことを言いまくりながら飲み続ける僕たちに、あの強烈な毒舌を投げつけて叱りながら、優しく楽しんでいる。昨夜も、きっと、そんな飲み会だったのだと思います。
良い夜でした。