椿山のおばあちゃん〔5017〕2017/01/09
2017年1月9日(月)山は、冷たい小雨
今日は、松山へ行っちょりました。愛媛県の松山市。仕事です。成人の日ですが、営業関係のお仕事でした。お昼ご飯を松山支店のメンバーと食べてから、高知へ。
今日は休日なので、ゆっくりと帰ってきました。そう。明治以前の松山街道。久万高原町から、仁淀川町の池川へ抜ける道。
今はクネクネの山間道で、通る車もほとんど、ない。しかし、一応国道で、494号線。
その494号線の途中から、北へ入っていく狭い道路。その狭い狭い道路を数キロ、クネクネ上がっていくと、ここ。以前、2015年7月と2015年12月にご紹介したことのある、椿山。つばやま。
その時にも書いたように、平家の落人が拓いたとされる集落。山の斜面。
何故、こんな斜面に集落をつくるようになったのかは、謎。
しかしかつては焼畑が行われ、昭和50年頃まで、盛んに行われていたと言う。
その椿山は、あまりにも、交通の便が悪い。農地も、狭い。そんなこんなで、どんどんと人が減ってしまった。今は常駐、一人。しかし、家はたくさんあり、そんなに廃墟みたいには、なってません。その理由が、今日、わかりました。
集落の入り口近くに構築された駐車場に車を停め、小雨降る集落へ歩いていく。水平方向の小径と、それに交差する狭い石段。その間に立つ、家々。立体的な集落です。
石段を上がっていると、蓑をかぶったおばあちゃんの姿が見えました。更に石段をあがると、建物の横に、おばあちゃん。
とても気さくな、おばあちゃん。色んな話をしてくれました。
昔は、とても賑やかな集落だったこと。紅葉の季節は本当にキレイであること。春は、山のあちこっちに山桜が咲いてキレイであること。焼畑が盛んであったこと。小さい頃、向かいの山の樹々が全部伐採されて残念であったこと。今はその山も、紅葉のキレイな山に戻ったこと。
そして、今も、週末などには、他の地域で暮らす若い衆とかが戻ってきて、藪を刈ったりしてくれゆうそうです。そう。それで、村は、今もきちんと保たれているんだ。出て行った皆も、椿山を愛し、忘れていない。
このお堂とかでお祭りしゆうがですか?と尋ねると、人がいっぱい来て、やりゆうぞね、とのこと。6月20日の虫送りが最初で、それからいくつも祭りがある、と教えてくれました。
「早稲田の先生で、ほら、あの、ブラジルとか行きゆう人がおるろがね。テレビに出ゆう。」
「ん?ひょっとしてエジプト学の吉村先生ですか?」
「そうそう。あの人も、来ちょった。ダイドーの社長とかも来ちょって、どっさり人が来たことがあったぞね。」
調べてみました。ダイドードリンコが「日本の祭り」という番組で、紹介しているんだ。吉村作治先生も、来てます。
「あの山には立派な神社があってね。昔は神楽とかも盛大にやりよったけんど。今はないなった。」と、おばあちゃんが教えてくれた神社に、お参りしてきました。
写真が、その椿山神社。石段の向こうに立派な拝殿が見えます。本当に立派な、神社。
椿山は、お祭りの時には、出身者や研究者、観光客などで、賑わう。
しかし。どうなっていくのか。日本はこれからどうなっていくのか。
椿山へ来るたび、そんなことを、思う。