冬至、南海地震、歴史館、警察署、郡役所、大高坂松王丸〔4998〕2016/12/21
2016年12月21日(水)晴れ
見上げると星空。昨夜の雨は上がりましたが、街は濡れて光っている。にっこりひまわり4998日目の朝。
今日は12月21日。冬至。こないだうちから、天体の運行と暦を合致したものにする為、冬至を一年の始まりとして通し番号で365(366)まで日付を振る、というのを考えた訳だが、その暦であれば、今日は一年の始まり。今日から、毎日、昼間が長くなっていきます。冬来りなば春遠からじ。
今日は12月21日。70年前の今日未明、昭和の南海地震が発生しました。
幾度かこのにっこりでもご紹介してきました。その時浦戸に住んでいた母の証言。潮江で農家を営む野崎さんの日記。
野崎さんは、地震発生直後から日記をつけ、農地の復興に向けての地元住民のすさまじい努力を文章に残してくれています。
昭和の南海地震は、過去の南海地震の中では、かなり規模が小さいものということ。次に発生する南海地震、この野崎さんの証言よりも、ずっと酷い被害になることも予想されます。70年。前回のエネルギー放出が少なかったとすれば、もう、いつ起こってもおかしくない南海地震。12月21日は、そんなことを思い起こさせてくれる。
さて。
このにっこりひまわりも、今日で連続4998日目。今日は、高知城の南東、丸の内緑地の南東から天守閣方面を撮影してみました。昨日と同じく、天守閣は、少し隠れちょります。
写真の真ん中の街灯。その街灯の向こう、右上に、ほんの少しだけ天守閣が見えています。
右手の巨大な建物は、来春にオープンする高知城歴史博物館。
山内神社のところにあった土佐山内家宝物資料館に所蔵されていた67,000点に及ぶ山内家関係の資料。山内家から高知県に寄贈された、夥しくも貴重な資料を中心に、展示が行われます。
以前にも書いたように、僕が一番興味あるのは「長帳」。藩政期初期から明治に至るまでの膨大な書簡類を綴じたもの。これは、実に気になる。
あと明治から昭和までの古写真10,000点。早く観てみたいもんです。
にっこりひまわりを始めて13年8ヶ月。随分と風景も変わりました。以前、この巨大な建物の場所には、くみあい興産駐車場がありました。その北側は財務事務所。
僕らが子供の頃は、警察と消防がありましたよね。警察署の特徴的な建物が印象的。
戦前の地図を見ても、やはり高知警察署。北側の財務事務所の場所には「聨隊區司令部」とあります。陸軍44連隊の施設があったのでしょうか。
昭和2年頃に遡ると、警察署は、南の、電車通り沿い(高知新聞社のところ)にあり、この場所にあるのは「土佐郡役所」。
明治の頃の、一番古い市街図でも、やはり「土佐郡役所」。警察署は、その橋の向こう、丸の内緑地の所にありました。
藩政期、この歴史館の敷地全体と東側も合わせて、山内家の広大な屋敷。東に隣接するのが深尾家の屋敷で、幕末にそこに住んだのが深尾弘人(ひろめ)さん。ひろめ市場の語源。
そして。
中世。ここにまちづくりが始まった。
湿地帯であった大高坂山周辺が徐々に開発され、人が住むようになり、水路などがつくられ、人々が集住するようになったのは、古代から中世にかけて。
この歴史館建設に先立ち行われた発掘調査で、そんなすごい遺跡が出てきたのを、2012年3月3日のにっこりでご紹介しちょります。
さあ。
様々な歴史を刻んできたこの場所に、歴史館ができる。風景はどんどんと変わってゆく。