浦戸湾、海沿いを行く〔4988〕2016/12/11
2016年12月11日(日)良いお天気だ
今日も良いお天気。年の瀬。
昨夜も呑み出てましたが、さすがに夜の街、人が出てます。夜の街が元気なのは、なんか、嬉しいですね。昼間の街も元気かのように見えるので。
今朝は早くから起きだし、午前中は浦戸湾をたつくって、きました。走るという作業は、頭の中を整理するのに最適ですよね。ストレスが溜まったときは、頭を空っぽにできる。色んな課題があるときは、普段にはない考え方ができて、面白い発想が浮かぶ。
今朝の最終目的地は桂浜。
家から鏡川大橋を渡り、桟橋方面へ。宇津野トンネルを通らず、孕半島の外周へ。孕半島の先っぽの、短いトンメルも通らず、外側の磯を歩いて周る。
そう。今日、自分に課したミッションは、できるだけ、海沿いを通って御畳瀬、浦戸、桂浜へと行くことだったのだ。
しかし、衣ヶ島から南へ磯を伝って行ったところで早くも挫折。歩ける磯がなくなってしまった。再び元に戻り、瀬戸へ。瀬戸団地から山越えで精華園。その駐車場から南へと周ると、磯へと降りていけるのであります。
以前、御畳瀬がら逆ルートを歩いてきたこと、あります。
今日は精華園から南下ルート。丁度潮も引いていて、歩きやすうございました。
精華園からしゅっとのところ、海ぎわにお宮さんがあります。今は、もう、御神体も遷座されちゅうのでありましょう。寂れたお宮さん。精華園駐車場から堤防を越えて降りていかんと、行けませんきんね。
そのお宮さんからは、海に向かって橋が突き出して、いる。そう。かつて、船が重要な交通手段であり、浦戸湾を人々が船で行き交いしていた時代、皆、そのお宮さんには、船でお参りしていたのである。
船が人々の主たる交通手段でなくなってから、お参りする人も減り、遷座されていったのでありましょうか。
そこから磯を伝って更にしばらく行くと。海際の山壁に、人工的な穴。そう。戦争中、特攻兵器震洋の格納庫として掘られた壕が、今も、ここには残っている。浦戸湾には、第127震洋隊があって、米軍が上陸してきたら、その、ベニヤ製のボートに爆薬を搭載して特攻していく、そんな予定であった。そんな無茶な戦争の痕跡が、今も、この磯には残っています。
そこから南下すると、磯の先っぽに、大きな岩。袂岩。鬼が袂から落としたのが転がって、ここに鎮座したという伝説。龍馬が最後に土佐へこっそり戻ってきた際、船をこの袂岩に舫った、という話もあります。ここで小船に乗り換え、城下へと向かったのでありましょう。
今日は、その袂岩の沖に、小さな漁船が数隻。何の漁をしているのだろう。ここからは、見えませんでした。
そして彼方に浦戸大橋。
今朝は、ここから御畳瀬の古い町を抜け、長浜経由で海岸に沿って浦戸、あの浦戸大橋の下を通って桂浜へと、走りました。
桂浜の土産物売り場街。もう、かなり歯抜けになっちょります。売っているものも、店も、昭和ですもんね。せっかくの土佐のうまいものを色々と楽しんで頂くようになっちょらん。
どの店にも鰹のタタキはあるんですけんどね。
今時の人気のある名所旧跡は、宮島でも伊勢神宮でもどこでも、土産物や食べ物を提供する商店街が、実に実に充実しています。おしゃれだし。そこでしか食べれんようなものや、風情のある茶店などなど。行って良かった、と感じる街。
桂浜も、整備が検討されているとのことですが、そんな工夫が為されるんでしょうね。僕は、街から船で行って、冨久美味さんの裏手の桟橋で下船し、おしゃれな土産物、食べ物屋街を通って龍馬像へと行けたら良いな、と、妄想してます。
今日は、桂浜荘でお風呂に入り、売店街でいつものいか焼きを食べ、バスに乗って帰ってきました。僕は、このいか焼きが一番、好き。桂浜で、名物が、いか焼きというのもね、なんだかね、ですが、いつものように、とても美味しかったです。