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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

旧街道と橋の痕跡〔4954〕2016/11/07

旧街道と橋の痕跡

2016年11月7日(月)晴れ!

昨日は、沈下橋について考え、高知愛を炸裂させてしまいました。今日もその補強だ。

現在、日本一古い沈下橋は、昨日ご紹介した、大分県の龍頭橋とされております。こんなの。2番目に古いとされちゅうのも大分県の高原橋で、3番目も大分県で神迎橋。この2番目のは、なんか、怪しい。正確ではなさそう。で、3番目の神迎橋って、こんなんですきんね。ほら

かつて、木の板を架けて渡っていたのを、石造りにしただけ、てな感じでしょ?こんなの、ズルい。この大分県の木の板から進化した沈み橋が注目されるまで、日本最古の沈下橋と言われていたのが、我が四万十川の、一斗俵沈下橋。昭和10年架橋
鏡川、柳原の沈下橋が取り壊されてから、この橋が一番古いとされちょりました。いかがでしょう。この、堂々たる沈下橋。この構造は、鏡川に昭和2年に架けられた、本格的沈下橋を参考にしちゅうのは間違いないでしょう。なんという美しフォルム。本格的だし。
この橋こそ、最古の、「ちゃんとした」沈下橋であるという認定を、僕がしよう。

ところで、四万十川は広いので、赤鉄橋の上流は佐田の沈下橋まで、6km、橋がない、という話を書きました。その佐田の沈下橋が架けられたのも、昭和47年になってから。基本、渡し舟が川を渡る手段であった。

さて。
写真はトンビがビーヒョロとなく、物部川河口近く。河口に架かる大きな橋の少しだけ上流。実はここ、昔、架かっていた橋の、痕跡。そして、昔の街道。

昭和8年測図の地図を見てみよう。よく、ご覧下さい。
以前にも書いたように、神母木の橋から下流には、道路の橋は、2本しかない。戸板島も、渡し舟マーク。現在の南国バイパスの橋に南にも、渡し舟マーク。
高知鉄道安芸線の橋と、その北の、国道の橋が見えます。そして河口近くに、橋。渡し舟ではなくて、橋が架かっていた、物部の河口。
川幅は広いものの、砂が堆積して、川が流れている部分が狭かったから、橋が架けれたんでありましょう。

その橋は、いつまで架かっていたのか。
地理院地図。地理院地図の、1974年〜1978年という航空写真が、これ。現在の河口の大橋が工事中だ。橋桁だけが、点々々。
その北側。昭和8年の地図で橋が架かっていた、その場所に、橋が見えます。そう。河口の大橋ができるまでは、ここに橋があったのか。

そこで、今日は、この古い写真と現在のGoogleマップを見比べながら、確認してきました。
現在は野球のグランドがあって、その北側の道。これが、かつての街道だ。未舗装の、その道を東へ進むと、その道は、この写真のように、突然川に突き当たって、終わっています。
こんな道、わざわざ作る訳もないので、まさしく、これが旧街道であったのでありましょう。そして、この先は、河川敷に橋脚を立てた橋が架かっていなのでありましょう。たぶん、増水したら川に沈む、そんな橋が。

ここに橋が架かる前は、渡し舟。土佐の東部へとつながる街道が、ここを通っていた。この道は街道の痕跡でも、ある。

古い航空写真や地図を見ていると、色んなことが、わかってきます。今日も一つ、勉強になりました。


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