沈下橋考〔4953〕2016/11/06
2016年11月6日(日)晴れ!
今日も良いお天気。日曜日が良いお天気だと、嬉しい嬉しい。
昨日、四万十川の赤鉄橋、そして佐田の沈下橋のことを書きました。その中で、日本で最初の沈下橋は、昭和2年、高知役所の土木技師吉岡吾一さんの発案でつくられたもの、とも書いたのであります。このにっこりでも幾度か書いてきた、話。
で、その話の証拠は、これ。今朝、鏡川の沈下橋が架かっちょった場所に建てられている説明板。こここに、ハッキリクッキリ「我が国最古の沈下橋跡」と書かれ、昨日も書いた、架橋に至る経緯が記されている。
ところが。ところがだ。
ネットで調べてみると、これは間違いであるらしいことが判ったではないか。なんだそれは。
日本土木学会が選奨土木遺産として認定している、大分県杵築市に架かる龍頭橋。りゅうずばし。これが、日本に現存する沈下橋では最古のもの、とのこと。近年、その事実が確認されたのだそう。明治45年竣工の石造り沈下橋。
確認された時点では、その下流に永世橋という明治9年架橋の沈下橋があったそうだが、2003年の大水で流失。で、龍頭橋が、最古のものと認定されたのでありました。
さて。
この説明板の立場はどうなるのでしょうか。ここまで堂々と「我が国最古の沈下橋跡」と書かれ、吉岡吾一さんの発想が沈下橋を生んだ、と説明している文章を、どうするんだ。
ここで一考。
この、龍頭橋をよくご覧ください。この橋を架けた発想は、この形状で、よく理解できます。つまり。
このような、川の中に石が並んでいるような場所。こんな場所には、それこそ太古の昔から、石から石へ、という感じで木の板が渡され、そこを人々が渡っていたであろう。で、そんな木の板だと、増水したらしゅっと流されてしまう。流されないようにどうしたら良いか、と考えた人が、「そうだ、石で造ろう」と思ったのでありましょう。間違いない。
で、木の板の代わりに、少し手の込んだ石造りの、こんな橋をつくった。なので、増水した際に沈下するのは当たり前だ。
新しい発想があった訳ではなく、今までの考え方の延長線上でつくられた、龍頭橋。
それに比して。
ここ、鏡川に架けられた沈下橋。ここは、そもそも汽水域で、両岸の間は全部、川だ。水に覆われた、川。当時、南岸には砂が堆積していたとは言いますが。
この説明板の写真をご覧ください。なんという立派な「橋」。
狭い部分を簡易的に渡るために架けられた木の板が、流されないように石造りになった、というのとは全然違う。意味が違う。普通の永久橋を架けるところ、この工法の方が安上がりで機能的、というまったく新発想でつくられたのが、ここ、鏡川の沈下橋。
発想の方向が、反対方向。
雑貨屋さんをコンビニにしたのが龍頭橋であるとするならば、スーパーマーケットをコンパクトにしてこだわり食材を揃えた食品スーパーにしたのが、鏡川の沈下橋と言えよう。言えませんか?
そりゃあまあ、沈下橋として日本最古がどれ、と言われたら大分県かも知れませんが、それで吉岡吾一技師の功績が減ることはない。まったく、ない。
やはり、この吉岡技師の発想と、清水課長の英断は、後世に語り継がれていくべきものでありましょう。
第一、あの大分の古い沈下橋群は、別に、内務省にお伺いを立てるようなものではない。ここにあった沈下橋こそ、新しい土木の発想から生み出された見事な土木遺産と言えると、僕は、思う。
なんか、高知県愛が溢れすぎてしまった。まあ、良いか。