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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

潮江天満宮、大山祇神社、乾田、水田〔4885〕2016/08/30

潮江天満宮、大山祇神社、乾田、水田

2016年8月30日(火)晴れ!

それにしても良いお天気。見事に晴れ渡って放射冷却。今朝の最低気温、20℃くらいまで下がったにかありません。涼しい涼しい朝。なんか、秋晴れみたいになりました。日中は暑いことにはなりそうですが。

ここは、潮江天満宮。夜明け前、5時頃の拝殿前。正面の参道にカメラを置いて撮影してみました。さすがに、高知で一番多い参拝客を集める潮江天満宮さん、立派な構えが夜に浮かび上がって美しい。

あの拝殿の西側に本殿。その西側には小山があって、てっぺんに磐座と、そして大山祇神社さんが鎮座。小山をぐるりと一周できるように、小さな参道がしつらえられちょります。

以前考察しましたが、その小山は、かつて、筆山からつながっていたのではないか、と想像します。小山と筆山の間は、いつしか切り崩され、天神町と河ノ瀬方面を結ぶ道路になった、と。

スタンフォード大学のライブラリーで、昭和8年頃の、参謀本部が作成した地図が閲覧できます。日本中の、地図。その中から「高知」というのを見てみよう。
潮江天満宮界隈を拡大してみると、昭和8年当時には、すでに、道路ができています。河ノ瀬と天神町は、道路でつながっていた。いつの頃からつながっていたのでしょうか。

実は、昨年12月24日のにっこりで、昭和21年12月の昭和南海地震の後かも知れない、という考察をしちょりますが、今回の地図を見るとそれが間違いであることが、わかる。ごめんなさい。
潮江在住の野崎貞美さんが書いた震災から復興に至る日記に、地震後の1月4日、「工事一日。天満宮裏で土俵作り」とある。それが、大山祇神社と筆山の間を開削するもんであったのではないか、という妄想。
違いました。
しかし、当時の道幅は狭かったでしょうき、その道を広げる、という意味で土嚢作りをしたのかも知れませんよね。ああ。往生際が悪い悪い。

その昭和8年の地図をご覧ください。
天満宮の西側。現在の龍馬スタジアムとか野球場とかがある場所。そこには縦2本線の地図記号。田んぼだ。田んぼでした。あの界隈。しかも面白いことに、現在の高知市野球場がある、まさにその場所に、点線で野球場らしきものが描かれています。もう、簡単な野球場が、そこにできあがっていた訳だ。なるほど。

地図記号が気になるので見てみましょう。筆山。おう。筆山は、一面、墓地。この地図でも、一面の墓山であることがわかります。
潮江方面を見てみると、ここにも田んぼ。ここの田んぼは、縦の2本線の下に横に1本線。そう。子供の頃、こんな地図記号を見た覚えがある。今は、田んぼと言えば縦2本線なのであるが、当時は種類があったのか。
と、いうことで、調べてみました。
縦2本線が、乾田。その下に横1本線があると、水田。横2本線になると、湿田。そんな区別が戦後まであったんだそう。と、いうことは、天満宮西側は「乾田」で、潮江は「水田」。

今のような田んぼは、乾田。水田というのは、もっと、水が多い田んぼのことやと思います。
以前、高須の十石舟のことを書きました。あの界隈は湿地帯で、深い湿田であった。農作業は、胸までつかりながら、十石舟を使って行っていた、と。そこで、昭和8年の地図で高須界隈を見てみましたが、横1本線。「水田」。横2本線の「湿田」ではないのか。
この辺の事情、高須の農家の息子で県庁に勤務する友人に、今度確認しちょきます。

ともあれ、美しい、夜明け前の潮江天満宮。


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