哺乳類の血が騒ぐ〔4874〕2016/08/19
2016年8月19日(金)晴れ!
今日は高知。昨日の夜、県営名古屋空港からFDAに乗ってモンて来ました。安いし、快適。日によって料金が全然違うんですな。JALが運行していて、不採算ということで高知名古屋便が無いなった頃のことを考えると、夢のようだ。
で、県営名古屋空港も、なんか、充実してきました。名古屋名物を食べれるレストランも完備。ミソカツ丼にしようか、きしめんにしようか迷うた挙句、どて煮丼にしました。まあまあでした。はい。
今日は、バスに乗って徳島へ向かいよります。写真は、はりまや橋観光バスターミナルの裏。本来は、ここに大きなバスターミナルができ、はりまや橋と高架の遊歩道でつながって、かるぽーとと一体化になったはりまや橋地区の観光再開発が行われるはず、だった。しかし、財政は逼迫し、そんなことをやりよりけにならん、ということで、できたのは立派な立派なバス降り場。
完成した翌日、2008年5月2日のにっこりでご紹介しちょります。
もう、8年になるのか。これができる以前、どんな風景やったか覚えちょりますか?
この細長い場所には、電車通りに向けて小さい店舗が並んでいました。ちょっと猥雑な感じの、建物群。建物の裏手は、細長い公園みたいになっちょった。
そうなったのは昭和40年代前半。
それまで、そこは堀川だった。大丸前の池から、はりまや橋の下を流れて、ここを通って農人町を抜け、鏡川に流れ出る堀川。藩政期初期に整備され、高知の城下の物流大動脈になった、堀川。
しかし、自動車社会になって舟運が衰退し、それに合わせるように、高知市の下水道と化した江ノ口川や堀川、新堀川は臭い臭いドブ川に。
はりまや橋の下は、臭いドブ川になってしまった。で、臭いものに蓋、という訳で、埋め立てられてしまった堀川。
その埋め立て地。はりまや橋の東西は、公園になりました。土佐橋から四ツ橋の間には、店舗が並び、裏手が土の公園に。
そして時は流れ、立派な立派なバス降り場。
その観光バスターミナルの裏手は、今、こんなになっちょります。なんか、昔の風景を少しだけ、思い出す。こういう、狭い、路地みたいな道、好きですか?僕は好きです。皆さん、好きですよね?
以前にも書きましたが、人類が、細い路地に惹かれ、狭い路地裏の狭いお店で安心感を感じるのは、人類が哺乳類だから、という説があります。いや、僕が考えた説なんですがね。
でもそう。
哺乳類は、恐竜の時代、小型動物として恐竜から隠れ、怯え、逃げるようにして生きていた。恐竜に遭遇したら穴倉に逃げ込んだりして。穴倉の中が安心できるスペースであった。
今、猫が、狭いところが好きで、無理やり狭い場所に体を押し込んで安心した表情を見せるのは、その時代のDNAを引き継いでいるから。(だと思う)。
人間も同じで、狭い路地、狭い店でくつろぐと、とても、安心する。これは白亜紀からのDNAなのか。
以前、はりまや橋の下を再び川に戻す計画を、このにっこりに書いたことがあります。で、松江城の観光遊覧船みたいな、細い船を走らせ、水辺の街を演出する。
大丸前。はりまや橋東西の公園。その辺は、川に簡単に戻せそう。しかし、土佐橋からかるぽーとまでの間は、簡単ではなさそう。
そこで、この路地。
バスターミナルはそのままにして、この路地を、堀川にする。東西を、つなぐ、水路。
この細い水路の東西の入り口には信号をつけ、舟は一方通行に、する。
そんな妄想をして、楽しんでおります。
こんな細い水路を舟で進み、はりまや橋の下へ。魅力的だ。哺乳類の血が騒ぐ。