妙見様の石段〔4834〕2016/07/10
2016年7月10日(日)曇り
雨が降りそうで、降らなさそうで。日が差しそうで、差さなさそうで。中途半端な感じのお天気。
今朝は、五台山を界隈をたつくって来ました。もう、汗まみれ。湿度が高いもんですき、頭から水をかぶったような状態で、ようよう、家に帰り着きました。いや、結構しんどかったです。
中の島の自宅を出て東進、青柳橋を渡り、そこから五台山の車道を一気に山頂、展望台のところまで駆け上がる。今日みたいに気温が高くて湿度が高いと、こたやかされますね〜。
まだ、牧野植物園が開いている時間ではない。
そこで、牧野の南門のところから車道を下る。
少し下ると、左手下方の森の中に神社の建物が見え隠れ。星神社さん。
地理院地図で見てみますと、その社殿は標高82mの山腹に鎮座。車道からも、狭い道を下って参拝できるようになっちょります。
星神社さん。
そう。明治初期の廃仏毀釈運動で、お寺さんが廃されたり、神仏習合の施設が神社になったり、という歴史があります。
明治政府は、国家神道というものを利用して政権運営をしていこうと図る。そういった空気になかで行われた、まあ、今となっては蛮行と言うてもかまん施策でしたね。
この星神社さんは、もちろん妙見様。
妙見菩薩信仰は、中国の北極星(北辰)信仰やらインド仏教やらが元になり、日本で展開した信仰。全国の至る所に、あります。妙見様。
ここの妙見様も、地域の産土神、妙見大明神として尊崇を集めてきた訳だ。で、明治維新。
全国の妙見様は、星神社に衣替え。以前にも書きましたよね。全国の弁天様が厳島神社になったのと、同じ。
この写真は、五台山の南麓から上がってくる石段の途中から見上げた星神社さん。
山裾の石段上り口の標高は1m。この石段は、まっすぐ、直線になっちょりますので、標高差80mのまっすぐな石段、ということになります。
五台山は、昔からの信仰の山。
今朝はこの石段を下りました。雨に濡れちゅうので、滑りこけんように慎重に。しかし、立ち止まると、蚊がくる。蚊はいますが、マイナスイオンたっぷりの、心地よい石段でございました。
聞こえる音は、クマゼミの鳴き声ばかり。
産土神ですき、南麓に住む皆さんは、この石段を登って参拝しているのでありましょう。なかなか、キツい。それでも、北辰信仰なので、社は高い場所にないといかんかったのでありましょうか。
ひょっとして、この石段は、真北、つまり北極星の方向を向いているのでは?と思うて、地理院地図を見てみましたが、全然違うちょりました。北西方向だ。
北辰で思い出すのは、千葉道場の北辰一刀流ですか。坂本龍馬も習った、北辰一刀流。
どうやら、千葉家には、北辰信仰が代々根付いておったがにかありません。妙見菩薩を信仰していたのでありましょう。どうでも良いですが。
今日は、ここから南麓の鳴谷集落へ下り、山裾を東進。東部球場に寄ってから、今度は五台山北麓を西進し、帰ってきました。
もう、汗みどろ。良い汗をかきました。良い日曜の、朝。