多摩川河口の利用法〔4812〕2016/06/18
2016年6月18日(土)晴れ!
良いお天気の東京。
羽田空港のロビーで、このにっこりを書いております。写真は多摩川河口。と、申しますか、羽田空港国際線ターミナルの前。羽田空港国際線ターミナルに到着する寸前のモノレールから撮影しました。写真右手が、多摩川の河口部。
一昨日紹介した浦安のディズニーランドは、旧江戸川の河口部三角州につくられ、昨日の天王洲アイルは、目黒川の河口部の洲。
羽田空港は、1917年、多摩川の河口部の洲を利用して、日本飛行大学校という飛行訓練施設の滑走路がつくられたのを始まりとする。
大河川の河口部の洲は、色々と利用価値の高いものである、ということが、よくわかります。
Googleマップで見てみると、現在の東京、武蔵野の平野は、多摩川の扇状地が洪積台地となった、その上にできていることがわかります。多摩川がなければ、東京もなかった。
さて。今、羽田空港第一ターミナルの出発ロビーに居ります。このターミナルができたのは1993年。僕が30歳の時だ。その後、2004年に第二ターミナルができて、現在のような姿になりました。でかい、しかも便利な空港、羽田。
それではいつものように、地理院地図で見てみましょう。
地理院地図の、情報リスト、空中写真・衛星画像。地理院地図の弱点は、Googleマップに比べてデータが古いということでしょうか。空中写真の「最新(2007年〜)」というのは、最新とは言え、国際線ターミナルが、まだ、無い。工事中ですな。国際線ビルができたのは、2010年。
で、現在のビッグバード、つまり、第一ターミナルや第二ターミナルがある界隈は、1984年〜1987年の空中写真では、埋め立て造成工事中。そして、1979年〜1983年の空中写真では、海。そう。ビッグバードができる以前の、あの、昔の羽田空港の頃、ここは海でした。
思い返せば、あの頃の羽田空港、こぢんまりしちょりましたね〜。東京で学生をやりよった頃。しょっちゅう利用した羽田空港。
この地理院地図の古い空中写真を見れば、よくもまあ、こんなちんまいところで大都市東京の空の玄関をやっておったもんだ、と、感心してしまいます。
当時のターミナルは、この、現在の国際線ターミナルの北側にありました。滑走路が交差する部分。
なぜか、ビルの上にYS-11の機体が乗っておった不思議な光景を思い出します。
この写真の場所は、駐車場の南端。ともあれ、この写真の界隈が羽田空港の中心部でありました。
そうそう。
僕が東京で大学生をやっていた頃は、成田空港が開港して、国際線がすべて成田へ移動しちょった時期。それ以前はあのちんまい空港で国際線もさばいておったのですから、信じられません。
国際線すべて、と、書きましたが、1社だけ羽田に残っちょりました。台湾の中華航空。理由は、知りません。
たしか、モノレール羽田空港駅一つ手前の整備場駅かどっかで降りて、乗るようになっちょったと記憶します。
ともあれ、羽田空港。
今は、その利用医者数は、世界第4位なんだそうですね。まあ、多い多い。
そんな人数の利用客と、飛行機をさばかんといかん訳で、精一杯機能的に設計されちゅうのだと思います。それでもモノレールや京浜急行を降りてからは、かなり歩かんといけません。特に、新しい第二ターミナルなんぞ、端っこに飛行機が停められたが最後、とんでもない距離を歩くハメになります。まあ、仕方が無いですが。
高知空港も、物部川の河口にあります。
成田空港の建設で、地元との折衝にとんでもない困難があったことからもわかるように、空港を作るなら、今は海に限りますな。
羽田空港の立地は、かなりの先見の明があったと、思います。