医療センターの夜明け〔4809〕2016/06/15
2016年6月15日(水)薄曇り
もうすぐ夏至。夜が明けるのが早い早い。
写真は、今朝、4時半頃の高知市池。
車で、東部自動車道を通って出勤しょうとしましたら、夜間通行止めですと。そこで、高知南インターから南へ、トンネルを抜け、池の医療センター脇を通って出勤してみました。
その、大きな建物が、高知医療センター。高知市民病院と高知県立中央病院が一緒になり、PFI方式の画期的病院としてオープンしたのが、2005年春のこと。その前々年。2003年9月に、工事中の風景をご紹介しちょります。もう、13年も前のこと。
そうか。
医療センターができてから、もう、11年経つのか。
13年前のにっこりには、「建設から運営に至るまでを民間に委託するPFI方式を採用し、コスト削減とサービスの向上を図ります。」と書いちゃあります。が、まあ、それから色々ありました。民間委託というのは、なかなか、簡単なことではない、ということ。
正式名称は、高知県・高知市病院企業団立高知医療センター。
そう。企業団立。この企業団は、高知県と高知市から派遣された職員で成り立つ組織。
11年前の開院から2010年までの5年間は、上にも書いたように、夢のPFI方式、ということで運営されたんでありますね。それによってコストを削減し、民間の知恵を入れて効率的に、そして利用者満足を追求した開かれた病院にしよう、てな理想だ。そう。理想。
結局のところ。
色んな問題がこざいまして、2010年に、民間との契約を解除して、運営も、上記企業団に委ねる、ということになった訳だ。
なので、現在は、民間運営では、ない。
なんか、民間に委託して自由にやることで、すべてがハッピーになる、みたいな幻想、ありませんか?
規制改革をすることが、すべてをハッピーにする道だ、という幻想、ありませんか?
なかなか難しいんですね。特に、高度で公的役割の大きい病院を、すべて、民間でやろう、てなところに無理があったのでありましょうか。
政府の規制改革会議も、時折、とんでもない議論をしたりしておる。誰の幸せのためにやっているのかまったくわからない、単に、「規制緩和」という言葉だけに酔っているかのような、議論。
こないだもついつい書いてしまった、今次の、生乳取引における指定団体解体論など、その最たるものだ。
この病院の場合、まあ、そのやり方かれこれで良い部分もあったし、我々利用者にとっての実害は少なかったかも知れない。が、指定団体の問題は、日本の酪農業を壊滅状態にもっていくかも知れない重大な内容であること、規制改革会議の素人どもには、まったくわかってない。
いかんいかん。また興奮してしまうので、話は池に。
この「池」という地名。
それは、この横に「住吉池」という池があるから。東へ行くと、住吉池よりも大きい石土池がある。地理院地図で見てみますれば、石土池の水面は標高8mで、住吉池は6m。
昔、海でありました。
海水面が低下し、池となって残された地域。まあ、湿地帯ですか。
そこには古くから人々が住みつき、豪族が盤踞し、様々な営みをおこなって、きた。
戦争末期には、浦戸海軍航空隊というのができて、まだ年端もいかない少年たちが、陸戦と特攻訓練に勤しんでいました。いわゆる、予科練。飛行機乗りを夢見た少年たちの多くは、結局、飛行機に乗っての訓練をすることもなく、終戦を迎えたともいわれます。
その場所に、国立の結核療養所ができたのは、戦後。
朝倉の国立病院に統合されるまで、「池の療養所」と呼ばれる広大な施設がありました。その療養所があった場所、今、見てみると、かなり低い土地にあります。
最初、池に医療センターができる、と聞いたときには、療養所の場所にできるがやと思いこんじょりましたが、そこでは低すぎましたね、土地が。
現在の、この医療センターの建物は、標高16mの場所にあります。そりゃあそうだ。災害拠点病院にもなるので。
東部自動車道は、大震災の際、この病院へのアクセスとして重要な役割を果たす予定なんですね。
夜明け前。
左側で工事が始まっている部分は、新がんセンターということにかありません。高知にできるがんセンター。これは、高知県民にとって、とても大切な施設になります。