鍋立山トンネルとは〔4798〕2016/06/04
2016年6月4日(土)薄曇り
昨日は、ジョン・ヘンリーのことを書きました。ハンマーでトンネルを掘る、アメリカ労働者階級の英雄。で、ハンマーは蒸気ドリルに取って代わられ、電気ドリルもできた。今は、トンネル工事の先端部分を電気ドリルで人間がガガガガガとやりゆうのではないでしょうね。知らんけど。
なんか、大きな掘削機で、そのまんま掘り進んでいくイメージが、あります。
トンネル工事で思い出すのは、やはり丹那トンネルでしょう。
大正7年に着工して、完成したのは16年後の昭和9年。7年でできる予定が、倍以上、かかった。しかも、合計67名の犠牲者を出した、日本屈指の、とんでもない難工事。子供の頃、丹那トンネル工事についての本を読んだことがあります。
難工事の原因は、やはり地質でしょう。
熱海から、伊豆半島の付け根の部分を突っ切る訳で、箱根山の南。つまり、火山を突っ切るようなトンネル。柔らかい地層、大量の水などなど。その上、工事中に、北伊豆地震まで発生して、犠牲者を増やすことになりました。
しかし、それまで御殿場経由であった東海道線が、丹那トンネル開通によって一気に便利になった、ということでありました。日本トンネル史上屈指の難工事、丹那トンネル工事。
調べておりますと、戦後のトンネル工事で、難工事中の難工事と言われているのが、新潟県の鍋立山トンネル工事、ということがわかりました。この工事、すごい。
1973年着工で、完成したのがなんと、1995年。20年以上かかっているではないか。全長9.116.5m。現在の鉄道トンネルの長さとしては、そんなに長いものでは、ない。
が、この工事、青函トンネルよりも英仏海峡トンネル工事よりも難工事であった、ということで、トンネル技術者の間では有名なんだそうですね。
やはり、工事の障害になったのは、地質だ。
鍋立山は、標高640mの、ひっくい山。この山が、それほどまでに厳しい地層を持っているとは、想像できんかったかも知れない。
まず、褶曲が、現在も活発に進んでいる地層、ということ。で、可燃性ガスや油類が湧き出す。柔らかい泥岩は、それ自体が支持構造にならんので、とんでもない圧力が上からのしかかってくる。
そう。固い岩盤は、その硬さを支持構造にして工事していく工法が開発されちゅう訳だが、その理屈が、使えない。
その上。
トンネル中央部付近に複数の泥火山。
で、地山が極端の膨張するという事態が出現し、掘削機の先っぽが、何度も幾度も押し返されて進まない、ということになったそう。すごい。
そんなこんなで、平成7年になってやっと完成し、平成9年に開通した、北越急行ほくほく線の鍋立山トンネル。
地質、恐るべし。
写真は今朝の稲生。東部自動車道。石灰の工場が逆光の中に浮かび上がる。左の山が稲生の石灰山。仏像構造線の北側、三宝山層の、石灰岩層。
この高速道路は、その石灰山の端っこのトンネルを抜けています。短か〜い、トンネル。
こんなトンネル、今は、あっと言う間に掘れてしまう。巨大な機械で。
しかし、巨大な、最先端技術を駆使した機械でも、鍋立山のような条件だと跳ね返されてしまうんですな。
大自然には、まだまだ、人知など及ばない。