高速道路と宗教施設〔4793〕2016/05/30
2016年5月30日(月)晴れ
先週の火曜日、「これが見納め?」と書いた、野市、上岡の鳥居の痕跡。今朝、6日振りに行ってみますと、まだ、屹立しておりました。先週と、あまり変わらない風景。
前週の時点で、この写真のように左右から土盛が迫ってきて、シロツメクサの参道と鳥居の痕跡だけが残されちゅう状態でした。なかなか、頑張ります。粘ります。
道路工事と神社、ということで思い出すのは、安芸の東の、梛の木だ。
以前にもご紹介しました。地元で昔から尊崇されてきた波切不動尊のご神木、梛の木。伝説に彩られた梛の木は、昭和44年、国道55号線の拡張工事で取り除かれる予定であった。しかし、地元の猛烈なる運動によって計画変更が行われ、国道の上り線と下り線の間に、梛の木が残されることになった、という話。
たいしたもんだ。
その、残された梛の木の下には、その経緯を書いた説明板があり、その表題は「梛の木は残した」。
ああ。
こないだ、雨の五台山で、「樅の木は残った」の話を書いたばかり。あの樅の木は「残った」のだが、あの、安芸の梛の木は「残した」のである。自分たちの強い熱意と運動で「残した」。この言葉に、強烈な自負と安堵感が表れている。
「梛の木は残した」。
あと、道路工事の計画変更で思い出すのは「誰も知らない小さな国」。覚えちょりますよね?
佐藤さとる作の、コロボックルをめぐる人間たちを描いた児童文学。小学校の図書館で、必読図書だか課題図書だかになっちょって、読みました。
なんともかんとも懐かしい。自分の子供の頃の風景が、あの物語とともに、セピア色になって蘇る。そんな素晴らしい雰囲気を湛えた、本。
で、人々に鬼門山と呼ばれ、立ち入ることが憚られていた小山。そこで、少年時代に、小人を見るという不思議な体験をした主人公が、戦後になって帰ってきて、コロボックル達と交流をしながら成長していく物語。
その鬼門山を、高速道路が通る、という計画が進んでいることが判明した訳だ。
梛の木の場合もそうだが、こういった計画は、一旦決まるとなかなか変更されるものではない。しかし、コロボックルたちに、工事関係者の耳元で恐ろしいことを囁かせ、悪夢を見させるという作戦で、工事ルートを変更させることに成功した、というものでした。
人間、祟りとか、やはり怖いですきんね。できることなら関わりたくない。祟りのないように、したい。
今回の東部自動車道のルートも、いくつもの神社仏閣のすぐ脇を通っているが、神社そのものは、避けています。これは、用地買収の難しさもあるでしょうが、できることなら避けたい、という感情もあるのでしょうか。
梛の木の場合、今なら、近在に公園になるようなスペースを確保して、慎重に移設する、という手段が取られたのかも知れない。しかし、そのまま残した、という英断は、やはり素晴らしい。今の、上り線と下り線の間に宗教空間がある、という風景は、なかなかのものだ。交通にとって、何の不具合もないし。
さて。この鳥居痕跡。戦争遺跡。
この状況でまだ粘っていると言うことは。ひょっとして。
ここだけ、土盛と土盛の間の高架にして、残すのか。そんな淡い期待を抱いてしまう。地元の人々の、産土神に対する思いは、それだけ強いのかも知れない。
このシロツメクサの参道は、今は誰も歩かない。あの鳥居のところへ行くには、田んぼの畦を歩いていくしか、ない。
そんな、車も人も通らない、通り道ではないところが、大切な宗教施設であり、戦争痕跡であるとして高速道路の真下に残されたら、ちょっと、嬉しいが・・・