道路工事と戦争遺跡〔4780〕2016/05/17
2016年5月17日(火)晴れ!
それにしても昨日はよく降りました。風も吹きました。高知空港離発着の飛行機が軒並み欠航で、昨日滋賀県からいらっしゃる筈だったお客様が来られなくなり、残念でした。いや、なかなか長い時間荒れましたね〜。
打って変わって、今朝は穏やかな良いお天気。明け方5時頃は、まだこの様に雲が見えますが、日が昇るに従って日本晴れになってきました。ああ。良い天気だ。
ここは今朝の野市、上岡。右端にいつもの上岡八幡宮さんの山。その参道を南東に伸ばしてくると、畑の中に、このオブジェが屹立しています。畑の中に、シロツメクサに覆われた参道が見えます。
これは、以前、ご紹介しました。戦争遺跡。
手前の2本の石柱は、嘉永3年に建てられた鳥居の脚。その足元に、その鳥居の笠木であったと思われるものが転がる。壊れた鳥居。
左の柱に「嘉永」までは見え、その下は破壊されて見えんなっちょりますが、向こうの境内にある嘉永三年という銘のある鳥居と同じつくりに見えるので、嘉永3年のものと思われます。
向こう側の柱には大正八年十月吉日と刻まれちゅう。
この破壊された鳥居。これは戦争末期、米軍のグラマンによって破壊されたと言います。対岸には日野ん海軍航空隊の基地、飛行場があり、米軍の攻撃目標となっていた。近所であったここ上岡も、攻撃されたのであります。その爆撃で破壊された鳥居。
その戦争の惨禍を伝える為、破壊されたまんま、笠木も足元に残したまま、残されてきた戦争遺跡が、これなんですね。
しかし。
こないだ、高知東部自動車道の工事がこの界隈でも始まりゆう、てなことを書きました。5月2日には、赤い旗があちこちに立てられていただけでしたが、あっという間に、工事が始まってしまった。5月11日に心配しておりました通り、やはり、ここを高速道路が通るんだ。
今朝、行ってみますと、このように、すぐ近くまで工事が始まっているではないか。
高速道路の敷地を示すんでしょうか、赤い旗が立てられ、このオブジェは、丁度、その真ん中に位置する。ど真ん中。これはもう、避けようも、ない。
以前、2013年6月1日に撮影した写真では、こんな風景でした。ここに道路ができるなんて、予想もしていなかった。
貴重な戦争遺跡がまたひとつ、撤去されてしまう。
この鳥居、嘉永3年のもの、と書きました。
つまり、嘉永7年11月に発生した安政南海地震にも耐えた鳥居。安政地震に耐え、米軍の空襲で破壊されるもそのまま残された、鳥居。しかし、建立から166年目にして、高速道路工事によってここから姿を消すことになるのか。
願わくば、この戦争遺跡のオブジェは、向こうの上岡八幡宮さんの境内に移して、保管して欲しい。願わくば、何故、このような姿になったのかの説明板でも設置して。
東部自動車道の工事で、破壊せざるを得なかった戦争遺跡には、向山戦争遺跡もありました。
遺跡は破壊されても、戦争の記憶だけは、構成にきちんと伝えていく義務が、我々には課されていることを忘れてはならない。