夜桜お七と西行法師〔4735〕2016/04/02
2016年4月2日(土)曇り
夜桜。
ここは高知市内の桜の名所、堀川。今年の桜は遅いので、まだ、7分咲きくらいでしょうか。満開まではまだ少しかかりそうな桜ですが、この土日が花見絶好の日程と言えましょう。しかし、明日は午後から雨になりそうな予報。
そんな訳で、今日は、曇っちゅうとは言え、夜桜見物絶好日。
ここの桜も、かなり大きくなってきた。昨年の花見をシーズンにも書きましたが、樹木の勢いとしては、これから10年くらいがピークにして下り坂となっていくのではないか、と思われます。
この堀川沿いを桜の名所にしよう、と、ソメイヨシノの苗木を植えた先人がいました。
テレビ高知の「はらたいらの おらんく風土記」という番組に、地元の名士横山さんという方が出演され、まだ苗木の桜が並ぶ風景を眺めながら「この桜がいつかここの名物になったら嬉しいね」といった趣旨のことを喋っておられたのは、もう、30〜40年も前のことになるでしょうか。
そして、今、高知でも有数の桜の名所になりました。
我々は、次の名所を考え、準備していく責務を負う。そうでないと、この風景をつくってくれた先人に申し訳ない。
夜桜。
夜桜と云えば「夜桜お七」。坂本冬美の「夜桜お七」は、八百屋お七のこと。
八百屋お七。
井原西鶴の「好色五人女」を始め、小説や戯曲、浄瑠璃、落語、漫画などなど、様々なジャンルの芸能作品の題材となってきた、八百屋お七。
天和2年(1683年)の年末、天和の大火によって焼け出され、正仙寺というお寺に避難した、八百屋の娘、お七。その避難所で、お寺の小姓と恋仲になる。で、自宅のお店が復旧し、そこへ帰ったが、もう一度、その小姓と暮らしたくてたまらない。また火事になれば、お寺へ避難して一緒に暮らせるのではないか、と考えたお七が、自宅へ放火。ボヤで消化されるも、放火犯として捕まり、火あぶりの刑となった、お七。
これが概ねの筋書き。
真相はどうであったのかはよくわからない。が、当時、お七という若い娘が実在し、江戸の町で放火して捕まったのは、まずは間違いのない事実とされちょります。
天和3年の数年後には、もう、作品となって世の中に出回っちょります。一世を風靡した事件やったんでしょう。年末に焼け出されちょりますので、立て直した自宅へ帰り、放火したのは、春、桜の頃やったかも知れません。で、夜桜お七。
ところで桜といえば、このにっこりでも何度かご紹介した西行法師。
元北面の武士で、凄まじいまでの意思によって出家し、歌人としても称えられた西行さん。そのあまりにも有名な歌。
願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ
この歌に読んだ通り、如月二月の十六日に、亡くなっちょります。旧暦16日は、満月の翌日だ。望月。これも、その凄まじいまでの意志の力である、とする人も居ます。
今年の如月の望月のころ、つまり、旧暦2月15日はと言えば、3月23日でした。今年の高知では、まだ開花宣言が出てなかったではないか。東京では咲いちょりましたが。
まだ、咲く始めるかどうか、みたいな時期が如月の望月のころなのか?
そこで調べてみました。
西行法師が亡くなったのは文治6年2月16にち。太陽歴に直すと。1190年3月31日。おう。桜の季節だ。やはり、咲き乱れる桜の下だったのか。
当時はもちろんソメイヨシノではない。
西行終焉の地となったのは、大阪河内の山里、弘川寺の裏山の庵。そこには、美しい山桜が咲いていたのかも知れません。