葉牡丹、繁栄の理由〔4731〕2016/03/29
2016年3月29日(火)晴れ!
ここは葉牡丹。私の、いや、高知県人の心のふるさと、葉牡丹。
今日はお昼から、高知県中央酪農組合連合会の総会なんですね。葉牡丹で。以前、与力町に本社があった頃は、本社で会合をやっちょいてから葉牡丹で移動して懇親会、という感じやったのでありますが、本社が南国に移ってからは、最初っから葉牡丹。もちろん、始めの30分くらいは真面目に会をやります。それから、宴会。おきゃく。
平日の真昼間というのに、葉牡丹は、多勢の酔客で賑わっております。ひろめ市場ができるまでは、一般人の昼飲みと言えば間違いなく葉牡丹でした。今は、ひろめができたので、バリエーションが広がった、という訳だ。
では、一般人でない人々はどうしていたのか。
実は、ディープな、昼飲みできるお店がありました。今もあるのかも知れませんが、人知れずニッチな市場を形成しているので、表舞台には登場して参りません。割合に表舞台に近いところで営業していたのが、「亀寿」さん。南はりまや町。中島町の通りに面していたので、車で走っておっても気になるお店でした。
だって、朝、8時頃にお店の前を通りかかると、店内から、おんちゃんのダミ声で「ヤギリ~の~ わたあし~~」などというオラビ声が聞こえてきたりしよりましたですきんね。気になる気になる。
以前にも何度か書きましたが、私が隊長となって結成しちょった「高知のぬかるみ探検隊」という、入店するには勇気が要るような高知のディープなお店探検隊の、ホームベースが「亀寿」でした。おばちゃんがひっとりでやりよりました。あのおばちゃんが亡くなってから閉店しましたが、今もそのままの姿で閉まったままの、「亀寿」。24時間営業に近かったと思います。昼も、夜も、夜中も、朝も、常連の酔客が目を座らせていた、あのお店。
おばちゃん、いつ寝ゆうがやろうか、と思うておりましたが、一度、昼間に行った際、カウンターの椅子を並べて寝っ転がっているおばちゃんを発見し、納得したことでした。懐かしいできごと。
あのお店で目を座らせていた人たちは、今、どうしているんだろうか。あのお店が閉まった後は、どこで飲んでいたのだろうか。
上にも書いたように、葉牡丹は、昼間から飲むのが好きな一般人が集う場所。なので、少し系統が違うんですね。「亀寿」のディープな住人は、たぶん、葉牡丹には入店させてくれなかったのではないか。そんな話を聞いたことがあります。
そんな意味で、高知にとっては貴重なお店であったと思われる「亀寿」。
ビールグラスは、薄白く使い込まれた「サントリー純生」と書かれたグラスであったのを、懐かしく思い出します。
ともあれ、葉牡丹。
葉牡丹が賑わうのは、高知県人の習性、風習、嗜好もありますが、広く一般大衆に支持されちゅう、というのが大きいですよね。土佐人スタンダード。亀寿さんは亀寿さんで好きでしたが、客層はかなりニッチでした。狙うてそうしたかどうかは、おばあちゃん亡き今、確認のしようもございませんが。
葉牡丹も、時代の流れに乗り、2階の広いお座敷がテーブルと椅子の席になりました。年齢層を考えると、優しい配慮。しゅっと誰彼の横へイザリこんで返杯を繰り返す、みたいなのには座敷の方がノウがえいですが、椅子席は楽チン。これも高齢化社会を迎え、また、飲み方も変わってきたという世の中の流れでしょう。
さて。これからの高知の酪農業を背負っていく皆さんの宴会。これは弊社にとってとてつもなく重要にして、楽しい宴会。牛乳屋冥利、高知県人冥利に尽きまする。さあ。飲むぞ。