高知市野球場、高知市営球場、甲子園の土〔4673〕2016/01/31
2016年1月31日(日)晴れ!
ここは「高知市野球場」。今はそう呼ぶそうです。我々にとっては「高知市営球場」。そう、呼び親しんできましたよね。市営球場。
今日は、午後、鏡川沿いを走りに出まして、立ち寄ってみました。市営球場。じゃなかった高知市野球場。
ちょうど今、韓国のプロ野球球団「ハンファ・イーグルス」がキャンプしゆうがですね。キビキビとした動きで、練習に勤しんでおりました。NPBのチームの1軍が春季キャンプに来んなった高知では、貴重なことやと思います。
さて。
この球場が高知市営球場と呼ばれていた、小生が中高生の頃。春野球場も東部球場もなく、ここが唯一の高知市近郊野球場であった時代。観客席のベンチの下は、土でした。
当時、高校野球の県大会でも、決勝とかはブラスバンドが入った応援が行われておりました。小生も、吹奏楽部員として、よく、野球の応援に来ました。学校から歩いて。楽器は担いで。
で、当時の我が校、ブラスバンドを含む応援団は、掃除をするのが宿命になっちょりました。そう。宿命と言うてもかまんでしょう。
試合に勝とうが負けろうが、試合終了後、すべての内野席の掃除をする。当時は禁煙でもなかった観客席には、試合が終わると、タバコの吸殻を始め、食べ物の残りやら何やら、たくさんのゴミが落ちておりましたので、それを、吸殻一つ残さない、というのが自慢でありました。いや、宿命か。
市営球場は一塁側もバックネット裏も三塁側も一続きなので、相手側のスタンドであろうが何であろうが、とにかく全部、掃除してから帰りました。
その学校が甲子園に出場したんですね。
このにっこりで、過去の甲子園ネタを検索してみたら、1戦目と2戦目の間、1週間くらい甲子園近くの幼稚園に泊まり込んだ話と、そこではカルキ臭が酷くて水をよう飲まんで苦労した話ばっかし書いちょりました。余程、水のまずさが印象的やったものと思われます。
あの甲子園は、今から40年も前になるのか。
で、あの甲子園でも、やりました。掃除。
普通なら、次の試合の応援団との入れ替えがあるので、できません。しかし、二回目の出場の時、準々決勝の第四試合で負けたんですね。第四試合なので、次の試合は無い。よし。掃除するぞ!
てな訳で、いつも市営球場でやっていたように、やりました。もちろんやったのはアルプス席だけですが、いやいや、広かった。一生懸命掃除をしておりますと、係員のおじさんが、グランドに出るゲートを開けてくれて、ゴミをここへ集めてください、と言うてくれました。そして降りて行った甲子園のグランド。
そこで皆、考えた。自分たちの足元にあるのは、甲子園の土だ。
落ちていたパンの袋に土を詰め込んで、持って帰ったのは、言うまでもない。Tくんは、マウンドまで走って土を取ろうとして叱られました。が、しっかり持ち帰ったようです。あんなことができた応援団は、後にも先にも我々だけではなかったかと、今思い返してもおかしくなります。
あの、甲子園の土。どうしたでしょうか。引っ越した際に、無いなってしまいました。懐かしい青春の思い出。
この球場に来ると、掃除のこと、甲子園のこと、あの暗くなった球場のグランドのことを思い出す。