唯物論を極めて唯神論へ〔4641〕2015/12/30
2015年12月30日(水)快晴!
良いお天気の年の瀬。
年末なので、昨日、金星や宇宙のこと、唯物論と唯神論などについて書きました。人類が人間として文化を発展させてくるなかで、宗教、神、といった概念は切っても切れないものであり続けてきちょります。
今日は、会社の本社棟では、営業の社員さん達が大掃除をしております。そんな大掃除中の本社棟2階から、ズームで撮影してみました。三宝山のてっぺん。
何度もご紹介した西洋のお城のオブジェが印象的。
あの、上に突き出た山頂。あそこを中心に、かつて、金剛堂寺(童子)という大きなお寺さんがあったと言います。なので、金剛山というのが正しい名称にかありません。
今、あの部分には三宝社とも呼ばれる竃戸神社さんと、浅間神社さん。三宝社さんが鎮座ましますので三宝山とも呼ばれ、三宝山スカイパークのお蔭で、三宝山という名称が人口に膾炙した、山。
どちらにしましても、古くからの信仰の山。
昨日書いた、現在我々が生きている宇宙が、人間が生まれ、生活できるような物理状況であるのは、無数にある宇宙の中で、この宇宙が、偶然、人間が生まれるような物理状況になったから、というのを「人間原理」と呼ぶそうです。そう言ってしまうと、なんか、物理理論は身も蓋も無いものに思えたりしてきますが、これは重要な考え方やと思います。
今あるこの宇宙。一つの時空。時間と空間を分離できない一つの「時空」である、としたのはアインシュタイン。しかし、紀元前2世紀に中国で書かれた「淮南子」に、
「往古来今謂之宙、四方上下謂之宇」
とある。宇宙の「宇」は四方上下、つまり空間を言い、「宙」は往古来今なので、時間の広がりを言う、ということ。紀元前に淮南子を書いた人は、宇宙が時空であることを喝破していた訳だ。
で、最新の宇宙論や素粒子論を見ておりますと、すごい。
量子論の理屈から、いわゆる、あの量子のゆらぎ、というやつが、夥しい、たくさんの宇宙を生み出す、というのが最近の理論。我々の宇宙は、その中の一つに過ぎない。
今から138億年前に、高エネルギーの小さな小さな点がビッグバンを発生させ、インフレーションによって広がる。今も、広がりながらも全体のエネルギーが衰えていない、つまり、ダークエネルギーと呼ばれるエネルギーが、生まれ続けている、という不思議な話。
色んな説があるが、その中の一つは。
そんなダークエネルギーの在り様を観測、研究した結果、銀河のような集団同士はバラバラになって離れてゆき、いつしか、星もなくなって果てしのない空間が広がる。素粒子も、とてつもない時間が経過すれば崩壊してしまい、ブラックホールも、とんでもない時間の果てに蒸発してしまう。すると、想像もできんような広い広い時空に、薄い薄いダークエネルギーだけが存在する、という宇宙になる。
こっからがすごい。
そんなシンプルな状況になると、量子論が適用できる。で、その広大な広大な広大な広大な低エネルギー空間が、量子のトンネル効果というやつで、小さい小さい小さい小さい超高エネルギーの状態に移ることも可能になる。そして、ビッグバン。生まれる宇宙。
そんなことを果てしなく繰り返す。
そうなると、もう、はじまりも終わりもない。果てもない。
それは、昔人類が考えていた、そして新しい宇宙理論によって否定された、そんな考え方ではないか。アインシュタインが取り下げた「宇宙項」は復活し、宇宙は有限な時空である、という考えも、大宇宙理論の中で否定される。宇宙とは、なんだ。
この写真の山で、かつて、人々が神を祀り、崇め奉った時代と、宇宙論や素粒子論が進んだ現代。「この世」についての認識は、結局、同じなのかも知れない。
そんなヤチもないことを考えながら、新しい年を迎えようとしています。
さあ。明日は大晦日だ。