伝説と事実の間(はざま)で〔4606〕2015/11/25
2015年11月25日(水)降ったりやんだり
時折小雨がパラつくお天気。今日のお昼あたりから、気温がグッと下がってくる、という予報の高知県地方。秋深し。
さて。
高知には、様々な伝説があります。もちろん高知に限らず全国に、たくさんの伝説がある訳ですが、高知に残る代表的な伝説を挙げてみましょう。
やはり、まずは平家の落人伝説。これはもう、多い。越知、横倉山の安徳天皇陵を始め、四国山地の各所に、たくさんの平家落人伝説が残ります。最近ご紹介したところでは、仁淀川町の椿山。つばやま。急斜面にへばりつくようにつくられた山奥の集落は、安徳天皇が横倉山へ向かう途中に通ったところで、関係者がそこに住み着いたのを、集落の始まりとします。
七ツ淵とか、平家の滝とかは、もう、そのものズバリ。たくさんの悲しい伝説も残ります。
この平家伝説は、安徳天皇が来たかどうかはともかく、たくさんの平家方の落人が四国山地に逃げ込んだ、という事実を反映しちゅうもの。史実から派生した伝説、と言えましょう。
マニアなところでは、朝倉神社、斉明天皇の伝説。
大化の改新の少し後。百済救援のための朝鮮半島へ派兵する、という中大兄皇子たちの判断で、斉明天皇が、出兵のために西へと向かう。で。
朝倉橘広庭宮に遷ってきたところ、そのお宮さんを建てるのに、朝倉社の木を伐った為、神が怒って広庭宮を壊し、また、鬼火が見えたのであります。そして、「天皇、朝倉宮に崩りましぬ。」。これは、日本書紀に書かれた記事。
この朝倉宮を、高知の朝倉の朝倉神社に比定する伝承が、土佐には残っちょります。
もちろん現代の定説では福岡県の朝倉がそうである、となっちょりますが、高知の朝倉にも、橘谷など、伝承にちなんだ地名がたくさん残っちゅうのも、事実。
さあ。この伝説は、どんな経緯で語られるようになったのか。本当に斉明天皇がやって来たのか。
会社の近所では、いつもの野市、上岡八幡宮さんなどに残る石船伝説があります。物部氏の祖神、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が、河内国から石船に乗って飛んで来て、上岡山に降り立ち、その後、再び飛び立って現在の天忍穂別神社、通称石船神社の場所に降り立った、というもの。これは、物部氏の勢力が土佐に根付く過程の史実が、伝説となって残ったのかも知れない。
そして。
こじゃんと規模が大きく、ロマンが掻き立てられる伝説が、黒田郡伝説。
白鳳地震。白鳳の南海地震とも呼ばれる、南海トラフのプレート運動による大地震が発生したのは、684年のこと。上記の、朝倉宮で斉明天皇が崩御したのが661年なので、その23年後だ。
その巨大地震は、歴史に残る南海地震の中でも、最大級の規模であったかも知れない、と言う。で、その地震で、「東は室戸岬より西は足摺岬に達する黒田郡と称する一円の大地」が陥没した、という口碑を始め、「黒田、黒土、上鴨、下鴨の四郡に分石高二十六万石程の地」が黒田郡である、というのやら、たくさんの伝承、伝説が残ります。
実際に、地震で沈んだ集落、というのは全国各所にあるので、集落の規模はともかく、史実を反映しちゅうのは間違いないところでしょう。
そこで、古来、ここが黒田郡である、という言い伝えが県内各所に残り、様々な証言が取り上げられてきました。
で、ここに至って、実に興味深いプロジェクトが始まったのでありました。名付けて「黒田郡プロジェクト」。
これは、歴史の研究者とはまったく関係ない分野からの参入なんですね。主導するのは、独立行政法人海洋研究開発機構(通称JAMSTEC)の若手研究者。地震、断層の研究者さんや、微生物、海底資源の研究者さんたち。それに、高知大学海洋コア研究センターの研究者が加わって、黒田郡伝説は事実なのか、という検証を行うプロジェクトを始めたんであります。素晴らしい。
実は、昨日、そのメンバーの皆さんにお会いして来ました。で、今までの取り組みを見せて頂いたのですが、さすがに科学だ。調査は実に科学的、論理的で、理系科学者が調査すると、こんなになるのか、と感心してしまった。
黒田郡の有力候補地としては、須崎の野見。野見には、野見千軒とか、戸島千軒とかの、海没した街の伝説が残り、地元の漁師さんたちは、海底に井戸のような人工物がある、という証言をしちょります。そこも、プロジェクトでは調査しました。
その他、四万十町の志和。沖合4kmの岩礁界隈が、黒田郡である、という話があるので、調べました。
それから、土佐清水市の、竜串の西の海。ここには、明らかに人工の、石の柱がたくさん海底に沈んじょります。その様子を調査し、石柱の状況を調べ、材質が、陸上の神社に残る石柱のものと同じであることを突き止めたりしちょります。
仮説は3つ。
1つめは、そこにあった何らかの施設が、地震による沈降で沈んだ、というもの。
2つめは、陸上にあったものが、津波の引き波で海中に引きずり込まれた、というもの。
3つめは、この近くに石切場があったので、その、整形した石を運搬する船が沈没するかなにかして、海中に石柱が落ちてしまった、というもの。なるほど。
もちろん結論はまだ出ちょりません。その他の地域の調査も、分析も、これからということろ。
で、小生が一番気になっちょったのが、南国市、十市の海にあった、という伝説。
十市には、琴平山という山があり、琴平神社さんが鎮座まします。その言い伝えでは、昔、「トッコウの峰」という山があって、そこに黒崎宮というお宮さんがあった、ということ。その周囲には村もあったが、白鳳の大地震で、海に沈んでしまった。その際、海から琴平山に金色の御幣が飛んできたので、その御幣を祀って金比羅さまと呼ぶようになった、という伝説。
十市沖は、以前、ある土木屋さんが自分で調査し、人工物がある、という海底映像を撮影したことがあります。そこで、プロジェクトでは、最新の機器を使ってその場所の海底地形を測定しなおし、隆起した地形を確定させちょります。人工物は、まだ、見つかっちょりません。
黒崎宮は、奈良、三輪山の大神神社から分祠されてきたもの、という言い伝え。
と、言うことは、そのトッコウの峰は、三輪山のような神奈備山であった可能性が高い。これは小生の妄想ですが。
で、昨日は、その妄想を科学者の皆さんに語ってきてしまいました。その海底地形を3Dにして、どっかの方角から見たら、三輪山のような神奈備山型の山に見えないか。もし見えたら、磐座(いわくら)のような巨岩がないか。もし有ったら。
ここが海底に沈んだ町であった可能性は高くなる。ひょっとしたら伝説の黒田郡かも知れない。
などと科学者の前で妄想を暴走させたのであった。ああ恥ずかしい。
ともかく。
歴史家には不可能なアプローチが、日本の最先端海洋研究所の若手研究者たちによって行われている、という事実。これは、なんとも楽しい話ではないか。
小生も、ちょっと、過去の研究などを調べてみることにしました。ついでに、研究者さんたちに、実地調査する際には声を掛けてくださいね、と抜け目のないお願いをした秋の午後。
写真は、久枝の避難タワーから西を見た風景。
海にせり出した琴平山。その前の海。そこに、幻の街、黒田郡がある夢を、見ました。