地学と信仰〔4586〕2015/11/05
2015年11月5日(木)晴れ!
朝のうち、少し雲が出ちょりましたが、お昼にはこんな青空。良いお天気。
今朝、国道32号線を走ってやって来ました。香川県坂出市。弊社の西日本事業部がある、香川県坂出市。
午前中いっぱい、みっちりと打ち合わせをやりまして、近所へお昼ご飯を食べに来ました。もちろん、うどん。香川県のうどん文化は、このにっこりで何度もなんども幾度もビッシリ書いてきたように、日本一です。ビックリするくらいの軒数のうどん屋さんがあって、しかも、どれこもれもなかなかのレベル。それぞれに個性を発揮して切磋琢磨しております。確かに、技量や個性が伴わないと、この香川ではやっていけない。たいしたもんだ、香川のうどん。
さて。
そのうどん屋さんの駐車場から東の方角を撮影してみました。
向こうの山は、左へいくと五色台。てっぺんに白っぽい構築物が見えるのは、白峯寺でしょうか。四国八十八ヶ所の、81番札所、白峯寺さん。
弘法大師開基ですが、あのお寺さんが有名なのは、崇徳上皇によります。
崇徳上皇。平安時代末期、天皇と院政と藤原氏と武士の台頭が複雑に絡み合う政治情勢の中で、保元の乱の首謀者となり、敗れた崇徳院。
逃亡の上、捕らえられて讃岐へ配流された、崇徳院。
失意のうちに讃岐で亡くなったのが1164年。
崇徳上皇が崇徳上皇たる所以は、ここから。
世は乱れ、大火が起きたり、崇徳上皇と敵対しちょった側の人々が相次いで死去したり、ということが続き、これは上皇の祟りに違いない、と認識されるに至った訳だ。
困りに困った後白河院。
で、これは祟りを鎮めんといかん、ということで名誉を回復したりしました。その時、「讃岐院」という院号であったのを「崇徳院」に改めたのでありますね。
最初は讃岐の地元の人々によってひそやかに葬られちょったのですが、あの白峯寺で、大切に、厚く、供養されるようになった、という崇徳上皇。
さて。
その、白峯寺の山の右側。少し黒っぽく見える台形の山が見えます。
白峯寺の山と、その黒っぽい山の間の谷。そこが、神谷。かんだに。神様の住む、谷。この辺の考察は、以前にもやりました。地学だ。
昨夜、このにっこりひまわりを毎日読んでおられる、という女性に会いました。とてもとっても有難いこと。で、「毎日楽しみに読んでますが、地学はちょっと・・・」と口を濁されてしまいましたので、地学ネタは封印しようかとも思いましたが(それで、こんな、崇徳上皇ネタを書いてきた訳だが)、それはそれ。
讃岐の山の形状と、神様の谷の関係は、書かずには居られない。
領家変性帯でできた花崗岩に、火山活動による溶岩が貫入して噴出し、固まったのが、今から1300万年〜1500万年前。それは安山岩となり、特に硬い部分はサヌカイトと命名されて、石器時代の石に利用されたりしました。
たたくとカンカン響くので、カンカン石とも呼ばれるサヌカイト。
噴出した溶岩でできた安山岩の山は、長い長い年月の間に風化侵食がつづく。で、高知の山とかですと、雨による侵食もあって幾筋もの谷が襞を形成し、襞々の山になっていく訳だが、香川の山は、そうはならない。五色台とか金比羅さんの山みたいな台形か、飯野山みたいな富士山型。その理由の一つが、サヌカイト。安山岩。硬いんですな。こりゃ。で、簡単に水によって侵食されない。風化侵食の作用の間にも、上部のサヌカイトが崩れ落ちて斜面を覆うと、表面はずうっと硬い石に覆われ続ける、ということになる。水に侵食されない。
国宝、神谷神社が鎮座まします神谷は、谷のどこかのお宮さんで神楽を奉納すると、その音楽が谷のあちこちに響く。あらぬ方角から神楽が聞こえてくるので、神様が演奏しているに違いない、これは、神の住む谷だ、神谷だ、ということになった、と言います。
音楽が響くのは、安山岩、サヌカイトの谷だから。
地学と信仰は、こうやって結びついてゆくのでありました。