国立競技場問題〔4529〕2015/09/09
2015年9月9日(水)雨
そんな訳で今朝は東京。雨の東京。台風の影響でしょうか、時折、かなりガイに降ったりします。で、今朝は築地市場はお休みなんですね。水曜日は、休みのケースが多い市場です。
築地場内が休み、ということで、どこを目当てに走ろうか考えましたが、ここにしてみました。今話題の国立競技場。別に、あんまし興味はないんですが、こういった施設はどんな地形を利用して作られちゅうのかが気になりまして。
大門から東京タワーの横を通って愛宕山。愛宕神社にお参りし、虎ノ門から溜池、そして赤坂。武蔵野台地の先っぽ、起伏に富んだ地形が楽しい。
愛宕神社の鎮座まします愛宕山は、標高25.7mの、言わずと知れた東京23区最高峰。関東ローム層が覆う地質ということで、洪積台地に火山灰が降り積もったもの。
地形をよく見てみると、今でこそ独立した山みたいに見えますが、麻布台の先っぽに位置するのが愛宕山。下末吉面でしょうか。硬い洪積台地なので、谷が複雑に入り組む地形は、麻布界隈の風景をかたちづくっております。
それはともかく、国立競技場。
そこへ行くのに、青山墓地を抜けていきました。台地の斜面の広大な土地に青山墓地。その坂を北へ上がったところが神宮外苑になっちょります。霞ケ丘というにかあらん。
写真は、神宮球場から国立競技場跡地に抜けたところ。跡地は、高いフェンスで囲まれて工事中。なかを見ることはなかなかできない。と、言う訳で、工事車両出入り口のフェンスの隙間から内部を撮影してみました。
この工事車両入り口の脇に「霞ケ丘国立競技場解体工事」とかなんとか書いちょったので、ここが霞ケ丘という丘の上であることがわかる。
この写真をご覧ください。
手前が工事現場で、跡地の向こうが一段下がっていることがおわかり頂けると思います。つまり、ここは丘の西端。
向こうへ斜面を下ると、そこは谷。千駄ヶ谷という谷。
谷なので、そこはかつて川であった。上流へ遡れば、新宿御苑の中の池。そこを水源に、千駄ヶ谷の谷を南流し、深い谷を刻みながら流れて渋谷という谷へ。渋谷川となるのでありました。
は〜るのおがわは さらさらいくよ〜
の、渋谷川。
同じ洪積台地の武蔵野台地でも、台地上の形状は、その地質、成り立ちによって様々。麻布界隈は、深く切れ込んだ谷と急坂が多い。この霞ケ丘は、上部が比較的平坦な丘であったのでしょう。で、その広大な土地に、陸軍の練兵場がつくられ、そして競技場となった。最初の競技場完成が大正13年。で、昭和33年、お馴染みの国立競技場ができたのでありました。
東京の地形図、地図を見ておりますと、その緑の多さに改めて感心させられる。しかも、広大な森が多い。この国立競技場、そして神宮外苑などにも緑がたくさん。
ひと所にまとまって緑がある場合、江戸時代の有力大名のお屋敷痕跡である場合が多い。このしゅっと北の広大な新宿御苑は、高遠藩内藤家の下屋敷。南に隣接する広い広い青山墓地は、美濃郡上藩主青山家の下屋敷。神宮外苑の東側に隣接する広大な赤坂御用地、東宮御所のある赤坂御用地は、紀州徳川家の上屋敷、こっから西へ行った明治神宮の広大な森は彦根藩主井伊家の下屋敷。どれも、起伏のある地形を見事に利用し、庭を贅沢につくったお屋敷であったもの。それが現在は庭園や神社や墓地になっておる、という訳だ。
しかし、神宮外苑、国立競技場跡などの場所は、ひとつのまとまったお屋敷跡地ではなくて、大小様々なお屋敷などを纏めたもの。それにしても、広い。
こんな大都会の中心に、これほど豊かな自然の緑が広がるケースがあるでしょうか。これも、江戸の都市計画が今に残るお蔭と言えるかも知れません。
そんなことを思いながら、降りしきる雨の中を渋谷川上流(であった)谷に下り、ホープ軒でラーメンを食べ、地下鉄でモンて来ました。ホープ軒のラーメン(大盛り)、おいしかったです。