高見山、岩石露出、仏像構造線、おおなろ、奈良、北見志保子さん〔4403〕2015/05/06
2015年5月6日(水)薄曇り
世の中は連休最終日。まあまあのお天気で良かったですね。まっこと。
今日は色々と忙しいので、早朝から南嶺を走ってきました。16km。こないだ久々の三嶺で、脚力の低下を実感したので、ちくと鍛えちょかんといかん、と思うた訳です。なので、まずは家から筆山麓、そして高見山のてっぺんまで一気に駆け上がりました。いや、苦し心地エイ。
で、高見山山頂からライオン岩。ライオン岩のところから、南を見ると、南中山と高見山の間の小高いところに、岩石の露出がたくさん見えますよね。山道から少し外れちょりますので、わざわざ寄ることもメッソないのですが、地学ブームの昨今、寄ってみん訳にはいかんでしょう、これは。
てな訳で、その岩石露出群から眺めた風景が、これ。ライオン岩と同じチャートだ。秩父累帯南帯、三宝山帯のチャート。
こないだ、昭和南海地震の際に克明に日記をつけた、潮江の野崎さんのことを書きました。その日記にも、地震の揺れで高見山の岩石が落ちて来いで良かった良かった、というようなことが書かれちょります。そう。この岩石群は、地球から生えちゅう岩石。転がっちゅう訳ではない。ので、少々の揺れにはビクともせんのでしょう。
それにしても潮江。この、住宅に埋め尽くされた眼下の潮江は、ほんの数十年前まで、田んぼと畑ばかりの土地でございました。昭和21年の、昭和の南海地震の日記でも、潮江では住宅の被害というよりは農地の被害のことが中心に描かれちょります。地震によって地盤が沈降し、海岸の堤も、内側の中堤も切れて、そこから海水が流入、ここは一面の海になっておった、そんな昭和の南海地震。
今、南海地震が発生したら、ここはどのようなことになるのでしょうか。やはり海になってしまうのかも知れません。人間のできることなんぞは、限られちょります。
さて。
岩石群を楽しんでから、土佐塾高校、そして鷲尾山と一気に駆け抜けました。鷲尾山頂でも一枚写真を撮っただけで、すぐに出発して烏帽子山頂。心臓バクバクで、心地よい山RUNとなったのでありました。
烏帽子山からは、テレビ高知さんが取り付けた道を走っておおなろ園へ。おおなろ。大奈路。
奈路、とは、山中などで平かになっちゅう場所のことを言いますよね。土佐弁では、平坦なことを今でも「なろい」と言うたりしますきんね。
烏帽子山の北側山中に、東西に延びる平坦な土地。この平坦な土地はですね、どうやら仏像構造線のしわざ。
Googleアースで見てみると一目瞭然。宇津野山、鷲尾山の北麓が仏像構造線で、まっすぐに西へと延びちょります。で、おおなろ園の所を通って直線状に西へ延びてゆく仏像構造線。
仏像構造線という断層によって形成された、山中のナロい土地。そこにつくられた障害者施設が、おなろ園という訳でございます。
おおなろ園。大奈路園。平坦な土地、奈路。
ところで、こないだ、710年の平城京遷都前後に書かれたと思われる木簡に「奈良京」と書かれちゅうのが発見された、というニュースがありました。奈良に都が置かれた当時から、「奈良」という表示がされておった、という貴重な出土。
「奈良」の語源には、それこそいくつもあります。例えば、朝鮮語でナラは「国」を表すことから借用した、という説。しかし、ちょっと、しっくりこないではありませんか。
やはり、柳田国男先生が唱えたように、平かな地形から来ている、というのが説得力あります。
中四国では、山腹の比較的緩やかな土地を「ナル」などと呼ぶのだそうで、その「ナル」には、「平」という文字が当てられちゅうケースが多いと。
高知でも、烏帽子山北側の大奈路がありますし、南国市にも、山腹の開けた土地が奈路と呼ばれておりますきんね。
「平」がナル、ナラ、ナロ。
「平城山」という歌がありましたね〜。
人恋ふは悲しきものと
平城山(ならやま)に
もとほり来つつ
たえ難かりき
この美しい歌、何で、平城山と書いてならやまと読むのか不思議な思いをしましたが、これでよく解りますね。
ちなみにこの「平城山」は、宿毛生まれの歌人、北見志保子さん作詞、伊野生まれの作曲家、平井康三郎さん作曲なのであります。