野市青少年センターが完成した頃〔4401〕2015/05/04
2015年5月4日(月)小雨のち良いお天気
暑うなりました。朝のうち降りよった雨があがり、あがったと思うたら暑い暑い。汗ばむ陽気の連休ど真ん中。高知へいらした皆様も、高知らしい高知をお楽しみ頂けゆうことと思います。
さて。小生は、今日は野市。今は香南市になりましたが、旧野市町。昨日、山をたつくりまわったお陰で、足の筋肉痛は残りますが、野市。
野市には、高知県立青少年センターがあるのはご存知ですよね。これ、いつの頃からあるのでしょうか。小生が小学生の時分には、もう、ありました。青少年センターに泊まって、林間学校みたいなのをした記憶が鮮明。あれは何のイベントやったでしょう。
今の青少年センター、立派な体育館ができて、施設も整備されちょります。が、昔の、つまり小生が小学生の頃のまんまの建物も残っちゅうがですね。知りませんでした。
この写真、左手がそう。建物の前にある銘板によりますれば、昭和42年。そうか。小生が小学校に上がる頃、できたのか。
青少年センターに泊まり込んだのは、まだ、小学校低学年と記憶します。ので、泊まり込んだのは、まだ、完成したばかりの真新しい施設であった訳だ。なるほど。
今は、なかなか古ぼけたコンクリート打ちっ放しのオモムキ深い建物になっちょります。左手の建物が食堂と宿泊施設ですな。ああ。あれからもう40数年。
ところで、右手の本館。あの中に、化石展示コーナーがあるんですね。知りませんでした。ちくと拝見。おう、なかなかのモンだ。横倉山で発掘されたオルドビス紀からシルル紀という古い化石から、中生代、新生代に至る、魅力的な化石群。
そう。この青少年センターは、あの三宝山の西に在るのであります。
写真の向こうの山。右端に三宝山。石灰岩の露出が見える、三宝山帯の名称の元になった山。あの山の向こう側に北東から南西に延びるのが仏像構造線。秩父累帯の南端、三宝山帯。
こんな話、飽きましたか?
ともあれ、三畳紀からジュラ紀にかけての付加帯であるあの山は、地質学上、とても重要な地質の山なんですね。
そうそう。
ここ、昔から高知県立青少年センターでしたっけ?
高知県立野市青少年センターと言いよりませんでしたっけ?
野市町が香南市になり、野市が取れて、高知県立青少年センターになったがですっけ?
この辺は、妙に判然としません。
今から40数年前。夜、子供達が外の広場に集まって、星を眺めながら過ごした時間。今でも、なんか、鮮烈に覚えちょります。
あの頃の野市は、国道(それも旧道ね。今のバイパスではなく)沿いに古い町並みがあるばかりで、その他は圧倒的な田園地帯が広がる土地でした。野原の真ん中に市が立った、という風情が溢れる野市。
今や、住宅地が各所に造成され、変貌の限りを尽くした野市。
野市は、山田と同じ洪積台地。今から10万年以上前、間氷期に海水面が上昇した際、浅海底となり、四国山地から古物部川によって運ばれてきた土砂が堆積してできた砂礫層の地盤。
それが、今は、固い地盤の台地を形成し、津波にも安心な高さと、地震の揺れにも強い地盤が魅力となって、東日本大震災の後、特に、人気を集めるようになりました。
野中兼山さんが用水を通すまで、水はけの良い固い地盤が農地に適さず、農業用水もなく、不毛の原野であった野市が、こんなに変貌するとは、誰が想像したでしょうか。