逢い引き現場と逃走ルート〔4350〕2015/03/14
2015年3月14日(土)晴れ
高知へモンちょります。薄く雲がかかり、春霞のよう。菜の花が満開で、高知はもう春ですな。夜はちくと冷えますが。
今、高知では土佐のおきゃくをやりよりますが、今日明日、中心商店街で「日本一の大おきゃく」というのをやります。街中全部が宴会場。高知ならではの昼間っからの大宴会が、街中で繰り広げられるのでありますね。これ、結構好きです。
観光客にたくさん来てもらいたい、という意図から始まりましたが、飲みゆう人々に近寄って耳をそばだててみますと、ほとんど土佐弁。楽しんでおるのは地元民。
それで良いのです。
よさこいもそうですが、人々が心の底から楽しみゆうところに、人が寄ってくる。結果的に観光客さんが増える。それで良いのです。
昨夜も遅うまで飲みよりました。今日も昼から街へ出んといかんので、体調を整える為、朝は五台山を走ってきました。今日も11kmラン。
家から東進、五台山の車道をてっぺんまで一気に駆け上がり、少し下って牧野植物園へ。
植物園は完全に春の装い。チューリップが咲き始め、園全体が少しづつ色付いてきて、なんか、ウキウキする感じ。
牧野博士の銅像の所に、小さい男の子とお父さん。
子供「これ、誰? 大統領?」
お父さん「大統領ちゃうわ!」
銅像についての会話はこれだけでした。お父さんには、その後、牧野博士の解説をして欲しかった。
さて。そこから東へ、お馬さんが最初は慶全、後には純信の元へと通うた、通称「お馬路」を下り、久々にやって来ました。お馬岩。
今はみかん畑の中にあるお馬岩。
山の路からは少し外れた、しかし見晴らし抜群の岩。この岩で、純信お馬は、逢瀬を重ねていたと言います。誰が見たか知りませんが。
ちょっと樹々に埋もれちょりますが、写真の下部に写っちゅう岩がお馬岩。
ここで、安政南海地震の半年後、ペリーが浦賀にやって来てから2年後に、駆け落ち騒動が勃発する訳だ。
と、言うことは、政情が風雲急を告げ、地震と津波で大被害が発生している時期に、彼と彼女は、この岩で逢い引きをしよった訳だ。
付き合いをしゆうことがばれ、駆け落ちした時、お馬満16才、純信満36才。
以前にも書きましたが、役人が「五台山の僧は、お前の母親と同い年の老僧である、お馬は妙齢の身を持ってこれに恋慕するとは何ごとぢゃ!」とお馬を問い詰めたところ、お馬さんはこのように答えました。「わたしはただ坊さんが恋しいだけで、年を数えたことはございません。」
これは今なら流行語大賞を狙えるかも知れない名言ですな。
二人は、讃岐へと逃亡しました。そのルートは笹越えであったと言います。大栃の奥から四国山地を超えるルート。なので、この写真の、遥かに見えるあの山の左手の谷を上って行ったのであります。
ご承知の通り、金毘羅さんまで逃げたところで、追っ手に捕縛されてしまう二人。
この写真には、二人の幸せ絶頂現場と、駆け落ちコースが写し込まれちゅうことになります。春の日差しがひねもすのたり、純信お馬考でした。