市場前の豊洲市場、工事中〔4349〕2015/03/13
2015年3月13日(金)晴れ!
そんな訳で今朝は東京。業界の寄り合いにつき、昨日の飛行機でやって来ました。東京、良いお天気です。寒くもなく、いつものように、日中は夥しい人間が往来を埋め尽くしている、東京。
今朝は、4時半から走りに出ちょりました。錦糸町駅前のホテルから。そんな時間だと、流石に人間も少ないですが、それでも昨夜からの延長線上の若者や早朝から仕事へ向かう人々が。結構おります。
そんな錦糸町駅前から四ツ目通りを南下。しばらくして、小名木川を渡ります。結構広い、そしてまっすぐな川、小名木川。
1590年、徳川家康は、秀吉によって江戸に封ぜられます。甲府からの転封。何もない田舎に移され、家康家臣たちは激怒したと言いますが、家康は、おそらくは江戸の可能性を感じておったのでしょう、粛々と移ってきて、都市づくりを始めました。
その最初の大土木工事の一つが、小名木川開削工事。
行徳の塩を江戸へ運ぶのに、江戸湾は浅瀬が多くて船が速く行き来できない。そこで、海岸近くに直線上に運河を掘ったのでありますね。すごい土木工事です。その直線は、近代になって構築されたかのような姿ですが、江戸時代になる前に家康が考えたもの。日本一の土木プランナー、家康でありますな。小名木川には、アウトバーンのような軍事的意味合いもあった、という説もあります。
そんなことを考えながら更に南下。小名木川から南は、藩政期前期は海。途中、塩浜という地名が現れますが、そこは、江戸時代中期に干拓され、塩浜として開発された土地。そしてどんどん南へ行くと、豊洲。
豊洲は、大正12年の関東大震災で発生した瓦礫で埋め立てられた人工島。それまで、まったくもって海であった土地。そこに、大正末期に島ができ、工業地帯となりました。豊洲が工業地帯であったのは1980年代まで。東京の都市化が進む一方、江東区界隈の地盤沈下はとんでもなく深刻で、現在では高層マンションなどが立ち並ぶエリアに変貌しました。
そんな豊洲に、築地の中央卸売市場が移転することになっちょります。どうやら、来年の11月には移転するにかありません。
工業地帯やったので、土地が有毒物質で汚染されちゅうことが判明して、反対運動もおこり、かなり予定がズレ込んだと言います。
ここは、ゆりかもめの「市場前」の駅。駅の上から新市場の建設風景を撮影してみました。この場所だけではなく、この界隈、巨大なクレーンがたくさんどっさり並んで、大規模な開発が進んでおります。完成したらどんな風景になるのか、予想もできません。
ここは、築地とはそんなに離れちょりません。走ったら20分かからんくらい。ですが、電車などで行き来するには、かなり不便。
来年11月に完成したら、場内のすべての施設は豊洲へ、そして場外の多くの施設は築地に残る、ということ。
最近、東京へ出張すると、築地まで10km以上走って築地で朝食、というパターンが定着してきました。今朝も、11kmラン。築地場内の「中栄」さんで印度カレーと野菜スープを美味しく頂きました。で、デザートに、その近くにある「茂助だんご」さんで、こしあんのお汁粉を食べました。いや、もう、絶品。
「茂助だんご」さんの団子、特にこしあんの団子は大好きで、お土産に買うて帰ったりしますが、店内でお汁粉を食べたのは初めて。いや〜、予想を超えるおいしさ。トロトロの汁粉は、甘さは上品。それに、焼きたての焼き餅が入って、もう、なんと申し上げたらよろしいのか。朝っぱらから感動してしまいました。クセになりそう。
で、「中栄」で、おにいちゃんに移転のことを尋ねたところ、「来年11月と言いゆうけんど、まだ具体的な話は何もないし、遅れるがやないろうかね〜」てな内容を標準語でしゃべってくれました。
さてさて。この工事現場が、来年の11月に、新市場としてオープンするのでしょうか。