雨の宇津野峠越え〔4337〕2015/03/01
2015年3月1日(日)雨
昨夜から降り始めました。雨。
昨日はお昼から県東部の安芸市へ行っちょりまして、夕刻より宴会。ジャンボタクシー乗り合わせで高知市内へモンて来てから、時間調整に1軒立ち寄って飲み、それから東京からのお客さんと、シマカに飲りました。いや〜、よう飲んだ飲んだ。
しかし。実は、今日はお昼から高知県中央酪農組合連合会の役員会なんですね。正午から、葉牡丹で。そう。高知県人の心の故郷、葉牡丹。午前中から飲める居酒屋として、古くから親しまれゆう葉牡丹。
なので、今日の朝は、走りに出ちょりました。昨日のアルコールに澱んだ身体をスッキリさせ、今日のお昼からのアルコールに備える、という訳だ。高知県人もなかなか大変なのであります。
さて。大好きな雨ラン。この季節の雨中ランは、走りゆう間はかまいませんが、立ち止まって写真を撮ったりしよりますと、ちくと冷やい。若い頃はそんなにしゅっと冷えませんでしたが、近年は内燃機関が老朽化しちょりますので、いかんですね。この青いウェアは、山登り用のストームクルーザーという優れもの。快適に冬の雨中ランを楽しめます。11km。
家から鏡川大橋を渡り、桟橋方面へ。で、宇津野トンネルの手前から、孕半島の外周を周る旧道へ。雨に煙る浦戸湾の美し風景を楽しみながら、半島の先っぽの風情のある短いトンネルを抜け、灘の漁港へと走り、そこから北へ。宇津野トンネルの西側。宇津野山の谷の方へと進むと、谷はどんどん狭まり、そして山道に。宇津野峠を越えて高知の城下へと向かう、昔の往還ですな。
2007年の冬頃、事情があって、横浜(高知の横浜ね)から与力町の会社へ通いよった時期がありました。で、昔の往還である山道を通り、宇津野峠を越えて通うたりしよりました。孕の登り口の所に自転車を置いちょったりして。
その頃、よく通った道を、今朝は懐かしみながら駆け上ってきた訳です。
いや、雨の山道、滑らんように気を付けながら駆け上がりますと、道が、かなり荒れちゅう。たぶん、昨夏の一ヶ月続いた大雨で、荒れてしもうたがやと思われます。南嶺のハイキングコースは、ハイカーも多いので、一旦荒れてもしゅっと整備されますが、この旧往還はハイキングコースから外れちゅうようで、荒れ果てたまんま。
雨の荒れ果てた山道。
この峠の、昔の哀しい事件を思い出してしまいます。
それは、享保18年(1733年)のこと。全国を襲うた享保の大飢饉が、この年。土佐でも飢民が溢れたそうです。その頃、長浜に、藩によって「御救小屋」がつくられちょりました。難民救済の為の施設。宇津野峠を越えて、城下からその御救小屋へ向かおうとした、たくさんの飢民が、宇津野峠の坂道で行き倒れて亡くなった、という事件。これには、哀しい差別の問題が絡んじょったと言います。
そんな事件のあった宇津野峠越え。
2007年冬、まだ真っ暗い山道を、ヘッドライトを点けて登り、峠を越えて出勤しておりました。しかし、この事件を知って、そんな真っ暗い時間に、一人でよう歩かんなったことを思い出します。
雨の宇津野峠越え。荒れ果てた往還。