飛騨高山は雪の国〔4332〕2015/02/24
2015年2月24日(火)飛騨高山は曇っちょります
そんな訳で今朝は飛騨高山。
昨日はお昼まで本社でお仕事。で、香川県坂出市の弊社西日本事業部へ行って打ち合わせ。午後3時前に出発し、車を飛ばして飛騨高山。小生が運転した訳ではありませんが、なかなか遠かった。いや、ホント、遠かった。高速道路が空いちょったので、かなりスムーズに来ましたがそれでも到着したのは9時前。
で、ホテルの近所の炉端焼きで一杯やって、就寝。
その、近所の店のメニューに「のれそれ」があったがにはビックリしました。試しに、おばちゃんに「のれそれ」って何ですか?と標準語で聞くと、「穴子の稚魚をポン酢で和えたもの」との答え。なるほど。
さて。そんな疲れた身体を癒すべく、今朝も飛騨高山早朝RUN8km。
飛騨高山、観光客がたくさん訪れる町並みの界隈は、キレイに除雪されちょります。が、周辺には除雪された雪がうず高く積まれ、壁となっちょります。すごい。昨日の高知はヌクかったので、同じ国とは思えませんね〜。昨夜到着時の気温はマイナス1℃やったですき、今朝は何度まで下がっちゅうがでしょうか。
まずは町並み。陣屋から宮川沿い、そして上之町。まだ真っ暗い時間帯で、観光客は誰も居ず、地元の方がちらほらと朝の準備。除雪をしゆう方も。
雪国、こうやってたまに来る分にはキレイですが、住むと大変なんでしょうね。いや、頭が下がります。
今朝は、古い町並みから東へ上がって、東山遊歩道というのを走ってみました。高山の町は、東側に山があって、そちらに向こうて上り坂になっちょります。その坂にも町。そして山裾にはたくさんのお寺。そのお寺やお宮さんをつなぐ小さい道が、東山遊歩道。
藩政期初期、藩主金森長近が城下町をつくる際に、町の東の丘陵にお寺を集め、尊崇したのが始まり。金森氏にゆかりの深いお寺さんが並びます。
そして、高山城址がある城山へ。
飛騨高山市街の東にある小山(標高は686.6mもあるんだ)が、城山。室町時代から、お城が築かれてきた要衝。戦国期、秀吉の命を受けて飛騨を制圧した金森氏が、天正16年に築城開始。慶長5年までにほぼ完成。金森氏が関ヶ原で家康についたので、そのまま高山城主となった、とあります。
写真は、その城山の北側のお堀端。お堀が凍りついちゅうががわかりますでしょうか。橋の上に小さく小生も写っております。この橋の先には護国神社。
今日は、お城の西側に回り込み、大隆寺というお寺さんの方から駆け上がってみました。しかし。
お寺さんの裏手に、黄色いテープが。雪による倒木の危険があるため立ち入り禁止。ありゃ。
引き返し、違うルートから、行けるところまで行ってみました。しかし、雪が深い深い。表面だけが少し凍って硬くなっておりますが、体重をかけるとズボズボ。膝から、場合によっては太腿まで埋まってしまう雪。城山を舐めたらいけません。立派な雪山でした。
熊出没情報の警告看板もあり、途中で登山を断念。まあ、熊は冬眠しちゅうでしょうけんどね。
飛騨高山。実に美しい街。
金森氏は、宝暦8年に改易。その後、ここは天領となったのはご承知の通り。なので、陣屋があったりする訳ですが。
まあ、幕府は、飛騨の山の木材を管理したかったがでしょう。で、言いがかりをつけて改易にしたと思われます。天領として栄えた飛騨高山は、藩政期からの立派な町並みが残り、それが、今は観光客を呼び寄せている。観光地としては、実に良い場所やと思います。非日常空間を見事に演出し、観光客を楽しませる。ひとつの手本やと思います。
今から、飛騨酪農組合さんへ。
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いかん。ついうっかり、商売の話をしてしまった。