神社の祭りと地域〔4320〕2015/02/12
2015年2月12日(木)薄曇り
今朝の高新に、昨日の秋葉祭りの模様が掲載されちょりました。正確には秋葉神社大祭と言うのでありますね。
で、記事の写真は、練り行列の途中で鳥毛ひねりをやりゆう場面。これは、昨日のにっこりでご紹介した大石家前ではないか。と、言うことは、この写真の左上の人混みの向こうに、小生が居ます。そこから撮影したのが昨日の写真。
昨日は、全然予習して行かんかったので、練りの仕組みとかやり方とか、現地で見て聞いて知ることになりました。ので、今日は復習。
そもそもこの地に、火除けの神様である秋葉神社が勧請されてきた最初は、平家の落人に遡る、という話。越知の横倉山に安徳天皇がやって来た際、一緒にやってきた臣下の佐藤清岩という人物が、遠州秋葉山から文治元年(1185年)に勧請してきた、という伝説。文治元年は寿永四年。壇ノ浦が寿永四年なので、年号は合います。
佐藤清岩さんか。同時代、佐藤義清という人物がおります。そう。西行法師の本名が佐藤義清。なので、同じ一族なのかも知れませんな。
それはともかく、最初に秋葉神社として祀られたのは岩屋神社。で、法泉寺に遷り、その後、関番所の市川家へ。そして昨日も書いたように、寛政六年(1774年)に、山の上の現在地に遷座したのでありますね。それがきっかけで、今に有名な練りが始まった、という訳だ。
練りが余りにも有名ですが、お祭りは3日間あるそうです。
まず、1日目に神幸があり、岩屋神社に神様を安置。御神輿に乗ってきます。2日目は、御神体だけ、市川家にお祀り。そして3日目、氏子総がかりで、練りを行います。
岩屋神社、市川家、大石家前、法泉寺、中越家、そして秋葉神社と3kmを練り歩きます。途中、祝詞を奏上するのは市川家、法泉寺、中越家。中越家は江戸時代の庄屋さん。昨日は、お家に上げて頂き、おきゃくをしながら練りを見ました。家の中の座敷に御神輿を入れ、そこで神事を行う風景は、なかなかすごいもの。
大石家では、家の前を通りながらの鳥毛ひねり。昨日の写真も、今日の高新も、その風景。狭い急坂で、長さ6.5mの思い毛やりを投げ合うのは、なかなかの技量を必要とします。かなりの練習を積み、この、ハレの舞台を迎えたことと思われます。
神社と、その祭礼は、地域の紐帯。
昨日も書きましたが、このお祭りがあることによって、集落の絆が深められ、郷土への思いが醸成されてゆく。子供達が中心になっちゅうのも、その子供達のこれからの人生において、地域への思いを忘れないことにつながる。
文化人類学的とか民俗学的とかいった意味合いだけでなく、地域の、集落の、コミュニティの問題として、残していかんといかん、と思わせてくれる秋葉神社大祭。
これが、地域を、地方を元気にしていく大きなヒントを内在しちゅう祭りである、と、昨日あの場に居合わせたすべての人たちが感じていたと思います。いや、良いお祭りでした。