与島小学校、雨に濡れる二宮金次郎さん〔4266〕2014/12/20
2014年12月20日(土)雨
雨。久々の雨。昨夜深更からしっかりと降り始め、朝9時頃には時化みたいになっちょりました。気温は高め。こないだうちから冷え込んじょったので、心なしか暖かく感じた朝。
午前中、弊社の香川支店にて打ち合わせ。そこをお昼に出発して本州へと向かいよります。社員さんの運転する車に同乗。なので、途中、与島サービスエリアに立ち寄り、同行の社員さんを与島の集落にご案内して来ました。サービスエリアの駐車場から、地元の人しか知らないであろう小径を抜けて。
与島。
瀬戸内海に浮かぶ小さな島、与島は、瀬戸大橋ができるまでは、静かな静かな小さな島でした。小さいとは言え、海沿いには集落が開け、山の斜面にへばりつくように家々が立ち並ぶ風景。
何度かこのにっこりでもご紹介してきましたが、その、徒歩専用の狭い小径が迷路のようにはしる集落は、今もそのまま残されちょります。
我々が体感できる、貴重な、島の暮らしの風景。
今日は、そんな昔ながらの風景が雨に濡れ、懐かしさを際立たせておりました。
昔と違うのは、眼前に立ちはだかる巨大な構築物、瀬戸大橋と、そこから絶え間なく聞こえてくる騒音。24時間止むことのない騒音は、この小さな漁村の島に、これえからもずうっと響き渡ってゆくことになります。
島の小高い山の上に、坂出市立与島小学校。まだ古くなってない鉄筋コンクリートの校舎や立派な体育館からは、もう、子供の声が響くことはありません。
誰もいない小学校の南側、草ぼうぼうの場所に、二宮金次郎さんが読書しながら立っております。昭和16年、与島青年会の皆さんが建てた二宮金次郎さん。雨に霞む瀬戸大橋と雑草の中の二宮金次郎さんが、見事なコントラストを描いておりました。
二宮金次郎さんは、かつて、あちこちの小学校で薪を背負いながら読書をしておりました。しかし、戦後はかなり減って、小生が小学生の頃にはあまり見かけんなっちょりました。高知市内の小学校で二宮金次郎さんがいらっしゃるのはどこでしょうか。行川の行川小学校の校門のところにいらっしゃるのは知っちょりますが、他はあまり記憶にありません。
農民の子として、苦しい農作業をしながら勉強し、大人になってから農村の振興を推進する篤農家になったということで、戦前の軍国教育に利用されたりしました。なので、戦後しばらくはこの銅像に拒否感があった人々も多かったにかありません。この銅像が建てられたのが昭和16年ということで、当時の空気を読むことができます。
与島の集落は、今は、空き家も多い集落。いかにも瀬戸内海の漁村、といった風情の与島の漁村も、高齢化と人口減少の影響は覆うべくもありません。しかし美しい島です。また移住が進み、若い人たちが移り住んで集落が活性化する、となったら素晴らしいのに。子供が増えたら学校も再開して。