電車の模様〔4237〕2014/11/21
2014年11月21日(金)快晴
良く晴れました。山では紅葉が綺麗でしょうね〜。
写真は、今朝の電車通り。土電の新ペイントの電車が走りよったので撮影してみました。ん?もう土電ではないのか?
土佐電鉄と高知県交通が合併し、とさでん交通という社名でスタートしたのが先月、10月1日のこと。で、車両のデザインは、旧土電と県交のイメージカラーを残した、緑とオレンジのツートンカラーに決められ、塗り替えが可能になった車両から順次塗り替えていく、ということになったにかありません。まあ、なかなかのデザインやと思います。バスではね。
しかし、電車もそんな塗装にしていくとは思うちょりませんでした。バス事業は、統合によって路線を統合、効率化を図っていく、ということで、バスのデザインも統一にしていくのは解りますし、必然でしょう。
しかし電車はね〜。電車は、元々土電にしかなかったものですし、これまでのデザインには、あまりにも高知県人、愛着がありますきんね。
高知で「電車」と言えば土電の路面電車のことで、JRのことは「汽車」と呼ぶ、という話は以前にも書きました。土佐電鉄ではないなったので、土電の電車では無いなった訳です。まあ、県内で話をする際には単に「電車」で通じるのでかまんでしょうが、県外の方とかに話をする際、どう言えば良のか。
そうか。土電の電車から、と電の電車になったのか。とさでん交通の電車ですきんね。と電。なんか、ト書きみたいですな。脚本の。と電。まあ、どうぢゃちかまん話ですが。
と電の電車。よく、日本最古の路面電車、などと言われたりするので、その辺の情報をキチンと整理しちょきましょう。
正確には、現在走っている路面電車としては、日本最古。
日本で最初に路面電車が走ったのは、ご承知の通り京都。明治28年。南禅寺のところに美しい水道橋が残る琵琶湖疏水が引かれ、その水によって起こされた電気を利用した京都電気鉄道。昭和53年に姿を消した、京都の路面電車。かつては路面電車が走りよっても、今はもうない都市、京都。
と電の電車は明治37年に走り始め、現在も運行。その路線の長さは、路面電車としては日本一、と言われますが、キチンと情報を整理しましょう。
と電の電車は、伊野から後免までと、桟橋から高知駅までを合わせて総延長25.3km。これは、広島電鉄に次ぐ長さな訳ですが、広島電鉄には宮島線が含まれちょります。これは、と電の、昔あった安芸線みたいなもので、どちらかと言えば郊外線になる訳で、厳密には路面電車ではない。ということで、広電の総延長距離から宮島線を除いたら、と電が圧倒的一位に躍り出る、ということになる訳です。なので、路面電車、総延長日本一。現存する路面電車は全国に18。で、第2位が広島電鉄で18.8km。第3位が阪堺電鉄の18.7km。第4位になるとぐっと離れて鹿児島市電の13.1km。都電荒川線12.2kmと続きますが、都電荒川線は、路面電車と呼んで良いのかどうなのか。
札幌の市電は結構目立ちますが、8.5kmしかなく、伊予鉄の路面電車も6.9km。これも目立つ岡山電鉄に至っては4.7kmしか無いんですね。と電の25.3kmは、堂々の一位と言うたちかまんでしょう。
そんな歴史と伝統を誇る電車。なので、わざわざ、印象を変える必要なないと思う訳です。その必然性を感じない。と、思うのは単なる懐古趣味なのでありましょうかね。
しかし、と電の電車はと電の電車でありつづけて欲しい、と思う今日この頃なのであります。
と、ここまで書いてきて、やっぱしイカンですな、と電。そうか。「とでん」にしたら良いのか。今、気づきました。とでんの電車。
今日はお昼から後免で、酪農組合の研修会と懇親会。飲まんといかんので、車を高知市内に置いちょいて、とでんの電車に乗って後免へ行こうと思いよります。とでんの電車。