山のよろしさ 水のよろしさ 人のよろしさ〔4234〕2014/11/18
2014年11月18日(火)晴れ!
今朝は松山へ来ちょります。愛媛県の松山。ひまわり乳業松山支店。
朝、南国の本社へ出て一仕事済ませ、5時に車で出発して松山へ。伊野から国道194号線、そして国道439号線に出て仁淀川町の池川。そこから北上し、用居を通って県境トンネルを抜け、旧美川村から岩屋寺、久万、と通るルート。最近お気に入りの、旧松山街道ですな。
県境から岩屋寺界隈は、もう、紅葉が非常に美しゅうなっちょります。
写真は、池川。仁淀川町池川。その、安居川に土居川が流れ込むところに「安の川原」という少し川原が広くなった場所があります。そこの壁面に、自然石でできた句碑。こんな場所に種田山頭火の句碑があることは、メッソ知られちゃあせんと思います。こないだ、お菓子の浜幸の社長さんに教えて頂きました。
ご存知、自由律俳句の巨人。尾崎放哉と並び称される巨人。二人とも、数奇な人生を送りました。旅をし、流れ流れてゆく人生。以前にもご紹介しましたが、尾崎放哉は、小豆島の庵で最期を迎えました。山頭火は、伊予の松山。一草庵という庵を結んで、そこで亡くなりました。昭和15年。58歳。
その一草庵は、一度、このにっこりでもご紹介しちょります。
海をこよなく愛した尾崎放哉、山をこよなく愛した種田山頭火。自由律俳句の巨人ですが、対照的な人生を送ります。山頭火の晩年は、弟子に囲まれ、自分が望んでいたコロリ往生。幸せであったかも知れません。尾崎放哉は、それはそれは哀しく悲惨な晩年を小豆島で過ごしたのでありますが。
山頭火さん、旅の果て、山口の湯田温泉に其中庵を結んだのが昭和13年。で、翌年四国へ渡り、四国島内を行乞。で、松山へ行き着き、最期を迎える訳です。その途中。
ここ池川で野宿し、有名な句を詠みました。
山のよろしさ 水のよろしさ 人のよろしさ
昭和14年11月18日の日記にあります。
「主人に教えられて二里近く奥にある池川町へ出かけて行く迄、色々の点でよい町であった。行乞成績銭七十九銭、米一升三合、もったいなかった。渓谷美私の好きな山も水も存分に味わった。何と景色のよいことよ」
そして、この句碑の中央には
わが手 わが足 われに あたたかく寝る
と刻まれます。
ここ池川で句を詠んだのが昭和14年11月18日。
ん?
何と、今日は11月18日ではないか。なんという偶然。小生の母親は昭和8年11月18日生まれなので、丁度6歳の誕生日に、この句は詠まれちょります。
その一ヶ月後の12月15日に、松山の一草庵に入り、1年後の入寂。
池川町史に、山頭火さんが池川で詠んだとされる句があるそうです。
橋があると家がある崖の蔦紅葉(つたもみじ)
山のするどさそこに昼月をおく
びっしりと唐黍(とうきび)ほしならべゆたかなかまへ
岩ばしる水がたたへて青さ禊(みそぎ)する
山のしづけさはわが息さい
山が好きな山頭火さんの心持ちは、山が好きな小生にも、かなり理解できます。秋深い池川の、安の川原の美しさ。