佃島の路地〔4173〕2014/09/18
2014年9月18日(木)薄曇り
今朝は東京。昨日、外房の小湊から戻ってきて、新橋界隈に泊まっちょりました。で、もちろん朝築地がオヤクソクではありますが、あまりに近いので、運動にならない。そこで、隅田川沿いを8kmランしてきたのでありますね。
築地の前を通り、勝鬨橋を渡って月島。月島の商店街を駆け抜けると、そこは佃島。
東京は大都会で、どこへ行っても人の洪水。そして、大きなビルが立ち並んで無機質かつ巨大な都市、というイメージが強い。しかし、下町へ行くと、結構ゴチャゴチャしたこぢんまりした町並を体感することができます。
佃島は、周辺の再開発が余りにも進み過ぎたが為、その一角だけが奇跡のように残った江戸の町。古い佃煮屋さんや料理屋さん、昔ながらのコンパクトなつくりの民家が立ち並びます。川向こうには巨大なビル。また、月島方面はウォーターフロント再開発で高層ビル群。そんな高層ビルに囲まれた、しかし風情たっぷりの、水辺の町、佃島。
もちろん路地も縦横に走り、そこには鉢植えも並べられ、美しいたたずまいを見せております。
写真は、そんな路地の一つ。
小生、路地が好きなので、路地を覗き込みながら道路を走ります。すると、真ん中くらいに灯りがついた、趣き深い路地を発見。その入口には「佃天台地蔵尊」と書かれちょりました。
なんというこぢんまりとした、しかし本格的で美しいお地蔵さんでしょうか。自然石に刻まれたお地蔵さんが、路地の脇の、家々に囲まれた小さなスペースに鎮座。
近づいてみますと、お線香の香り。そう。早朝から、ご近所の方がお線香をあげに来られちゅうがですね。キレイに掃除され、大切に大切にされゆうことがよくわかるお地蔵さん。
昔、日本人の最大の特性は、何でもコンパクトに縮めてしまうことにある、ということを検証して書かれた「縮み思考の日本人」という本がありましたが、それを思い出します。なんという、縮められた美しさ。
ただでさえ狭い路地の、その中の狭いスペースに、キチンと鎮座ましますお地蔵さん。
そして。
その小さなスペースに、木の壁のようなものがあります。よく見てみると、大きな樹木。あまりに狭いスペースにあまりにデカイ樹木なので、壁のように見えた訳です。イチョウの木。人間二人でも、抱えきれるかどうかという巨木。それが、家々に囲まれた狭い狭いスペースに屹立し、その横にお地蔵さん。
以前、東京新聞さんが記事にしちゅうがをコピーして貼っちゃありました。それによりますれば、その大イチョウ、お地蔵さんとともに地元の皆さんに大切に大切にされてきた樹。で、役所が、そのイチョウの樹を文化財に指定しようとした際、地元住民が遠慮したので、指定されず、それで樹齢などの詳しい資料がない、とのこと。なるほど。
その記事には「本来、文化財とは指定されるものでなく、人の心の努力がつくり守るもの。まさに、ここに住む人々の真骨頂を見た。」と書かれちょりました。
良い話です。
そんな心が残る東京の下町、佃島。元々、1590年に家康が江戸へ下向する際、摂津の佃村から漁夫を連れて来て住まわせた、とされます。
これ、家康の壮大なる土木プランの中で、小名木川を開削するのと同時に行われた政策なので、江戸という街を構築するのに非常に大きな意味合いがあったのではないか、と思われるところ。小名木川を利用した水運、防衛機能を担わせたのが、佃の漁民であったのではないか、という説もあります。
江戸開府の13年も前につくられた、歴史ある佃島。
これからも、この風景を残し伝えていってくれると信じております。