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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

飛鳥井曽衣さん〔4167〕2014/09/12

飛鳥井曽衣さん

2014年9月12日(金)晴れ

昨夜は久々に、会社から走って帰りました。毎晩会合やら宴会やらが続くので、ホントに久し振り。そして、今朝は自転車で出勤しました。
ああ、なんという心地良さ。人類は動物ですき、身体を動かすことが摂食、つまり生命維持に直結するので、身体を動かすこと自体を心地良いと感じるようになっちゅうがやと思います。本能というやつですな、生命を維持する為の。
しかし、このところ摂食過多なのでお腹が出てきちょりまして、家までたどり着いた頃には膝が痛うなっちょりました。やっぱし、少しづつでも続けて走りよらんといかんです。

ここは高知市大津。今朝は電車通り沿いを自転車で出勤してみました。
向こうに見えるのが領石通りの電停。この左手の山向こうが関で、古墳も多い、古くから人々が暮らしたエリア。
で、小生の左手に山へ上がっていく石段が見えます。それを上がっていくと、古い古い墓石が立っちょります。飛鳥井曽衣さんの墓所と伝えられる墓石。
昔、初めてこの墓所を知ったのは、まだ、土佐の歴史の勉強を始めた頃で、飛鳥井さんと言われてもピンときませんでした。長宗我部元親に蹴鞠を教えた人物、と、まあ、これはマニアな話だ、くらいにしか思わんかった訳です。

その後、古代から中世頃の日本の歴史に接しよりましたら、飛鳥井という名前、結構出てくることに気付きます。和歌の世界では、なかなかの名門。藤原北家の流れと言いますき、公家さんの中でも由緒ありまくりの家柄。で、確かに、飛鳥井家と言えば蹴鞠なのでありますね。珍しい、蹴鞠の師範を家業とする家柄。

明治維新で、屋敷が京都から東京に移ることになった、伯爵、飛鳥井本家。で、京都の、その屋敷の跡地に白峯神社さんが建ちました。孝明天皇の遺志を明治天皇が具現化した、という、白峯神社建立。平安後期、保元の乱に破れ、讃岐に配流となって憤死した、日本一の祟り神、崇徳上皇は、弊社香川支店近くの白峯に祀られちょります。
武士の世から天皇の世になるに際し、武家にやられた崇徳上皇を、京都に戻してあげたかったのでありましょうか。
で、京都にできた白峯神社は、飛鳥井家の屋敷跡であった、という訳で、蹴鞠の守護神ともなり、今ではサッカーなどの球技全般の神様にもなっちゅうそうです。蹴鞠からサッカー。う〜ん、なんだかな〜。

話が逸れてしまいました。
飛鳥井曽衣さん。戦国時代が本格的になってきた天文、永禄の時代、戦乱を避けて土佐へと下ってきたそうです。土佐一条家は親族になり、そこの賓客となった訳ですな。で、同じ公家同志、戦国の世を優雅に暮らしておったのでしょうか。しかし、時代は、そんな悠長な時代ではない。
長宗我部によって一条氏は圧迫され、一条内政が大津御所に移されてからは、そこに同道、大津に住んだようです。
しかし土佐一条家は滅亡。すると飛鳥井曽衣さんは、長宗我部元親さんに招かれ、そこで蹴鞠を指導した、ということ。戦乱の世、不思議な立ち回りをしております。

江戸時代、万葉集古義を著した国学者、鹿持雅澄は、飛鳥井曽衣さんの子孫。蹴鞠はせんかったにかありません。

その飛鳥井曽衣さんの墓所。初めてお参りに行った際、地元の史家の方に、ここからは石ころ一つ持ち出しても祟られて悪いことが起こる、と教えて頂いたのが印象的でした。都の、身分の高い人物への畏怖が、そんな伝承を生んだのでしょうか。
その後、山裾は切り崩されて住宅もできました。時代は遷り変わってゆきます。


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