久礼八幡宮さんと避難タワー〔4165〕2014/09/10
2014年9月10日(水)晴れちょります
ここは中土佐町。久礼。ここの中土佐町役場で会議がございまして、汽車に乗ってやって来ちょります。何故汽車かと申しますれば、晩は飲み会になるきですね。久礼の夜。楽しみ楽しみ。
それはともかく、こないだ、久礼の津波避難タワーのことを少し書きました。ので、今日は、ちょっと早めにやって来て、その避難タワーに上ってみました。避難タワーの上の、涼しい風が吹き抜けるベンチの上にて、このにっこりを書きよります。ああ、目の前は太平洋。絶景。
この避難タワーは、久礼八幡宮さんの前の海沿いにできました。3階部分の海抜は20m。津波の最大級想定は13mということで、十分な高さを備えちょります。
この八幡様は、1707年の宝永の南海地震津波で社殿もなにもすべてが流され、それ以前の古い歴史が一切わからんなったお宮さん。で、1854年の安政南海地震津波のことは、色々と記録に残り、その凄まじさが伝わります。
安政南海地震津波でも、八幡様では、絵馬のところまで波がきた、と言います。絵馬は梁の部分に掲げられますき、天井の下まで浸水した、ということ。8mくらいの津波であったにかありません。
「西岡酒造の直径二メートル近い大きな酒樽が、今の役場付近をぷかぷかと浮きよった」という証言もあります。現在の中土佐町役場も、3階部分まで浸水する可能性がある、ということで、今、移転が準備されゆうと聞きます。
八幡様の鳥居のところから、避難タワーを見上げてみました。
町長さんの話では、色々と苦労があったようです。まず、文化庁。
この海の前は、歴史的景観保存地区。なので、構築物を建てるのにも、色々と制限がある。それは、大切なこと。で、地元の木材を貼付けるなどの工夫をして、ご覧の様に、なかなか優れたデザインになっちょります。
百数十年に一度の津波に備える施設。なので、やはり、普段の有り様も実に大事なのでありますね。いくら危険だと言うて、巨大な構築物で景観もなにも無くしてしまうと、そこに住む意味が無いなってしまいます。
もう一つ、住民の方から言われたのが、場所。ここは海の前。さあ、地震が発生して逃げる、となった際に、果たして海に向こうて逃げれるのか。
久礼は古い町で、住宅が密集し、なかなか避難タワーを建てるスペースがないのが現状。なのでここに建てた訳ですが、確かに海向いて逃げんといかん。
そこで、このタワーにはベンチなどを置き、普段から開放して、住民の憩いのスペースに利用できるようにしました。これは考えましたね。
避難タワーのてっぺんまで毎日運動がてら上がり、絶景を眺めながら友人とおしゃべりをする。それが、自動的に毎日の避難訓練になっちゅう、という仕掛け。毎日上がりよったら、いざという時に、心理的障害なしに逃げ上がれる、という仕掛け。
実際はどうなるのか、わかりませんが、普段から避難施設を開放し、慣れ親しんじょく、という発想は、実に重要であると思いました。そんな久礼の避難タワー。
上がってみますと、若い女性が数人、景色を楽しんでおりました。しばらくすると、地元の方ではないような、おんちゃんとおばちゃんが数人上がって来ました。
「ここへ毎日避難訓練に来よったら、なかなか運動にもなるね〜」
その通り。住民の健康づくりと避難訓練を兼ねた営みが、ここで、毎日行われゆうのでありますね。避難施設の在り方。色々と考えさせてくれる、興味深い避難タワーです。