小劇の裏の戦争遺跡〔4112〕2014/07/19
2014年7月19日(土)薄曇り
今から69年前の今頃。太平洋戦争は終末期を迎えておりました。昭和20年は年初から高知市内への空襲が続き、7月4日には最大規模の大空襲。市街地は灰燼に帰し、ほとんど全ての建物は破壊され、焼かれ、焼け野原となった高知市市街地。
現在、ただ1棟だけ、その空襲をくぐり抜けて現在も屹立する3階建ての建物が残ります。往事を偲ばせる、古い、趣きのある建物でした。電車通りからも、路地の奥にちょっとだけ見えるその建物、こないだ、電車通りを車で走りながらチラリと見ると、足場が組まれて何やら工事が行われゆうではありませんか。これは一大事!と、現場近くで確認してみたら、取り壊しているのではなさそう。ホッとしたことでした。
しばらく忙しかったので、その後どうなったのか、よう確認しちょらんかったのですが、こんなになっちょりました。真ん中の、可愛らしい建物。こないだまで、古い古い趣きがそのまま残るビルでした。
空襲時、その窓には鉄板が張られちょったそうです。そのお陰で焼夷弾が建物内を焼くこともなく、なんとか耐えて終戦。そして69年間。奇跡のように、取り壊されることもなく、現在まで残ってきた戦争の痕跡。高知空襲の後に撮影された焼け野が原の市街地写真には、この建物が、ハッキリと写っちょります。
今回の改修工事に際し、調査も行われたようです。空襲から守るのに役立った、窓に填められちょったという鉄板も、一枚だけ残っちょったようですが、それは今回撤去されました。内部の、実にモダンなデザイン、そして戦争の爪痕。
こうやって改修された、ということは、当面取り壊されることもなく、戦争の証人として残っていくことが確定した訳で、それは嬉しいことです。
この手前の駐車場。ここには、小劇がありました。独立系ピンク映画館「小劇」。シネコンができて、市内から映画館が姿を消していっても、中心市街地に唯一最後まで残っておった映画館。しかもピンク映画館。昭和の匂いを現代に残す、貴重な映画館でした。その奇跡の映画館も、昨年2013年3月末日で閉館となり、取り壊されてこのような駐車場になってしまいました。
ここが駐車場になったので、今まで、人々の眼に触れることのなかった戦争痕跡ビルが表に出てきたのでありますね。
それまでは、小劇の裏、という位置づけ。電車通りから路地を入った突き当たりで、そのビルの全容が人目に触れる事はなかったのであります。
こうやって表舞台に出てきたビル。こんなに可愛らしゅうペイントされ、補修されたのは、表舞台に出てきたきでしょうね。
時代は、このように流れてゆきます。周辺の風景がどんどんと変わり、建物の外観が変わったとしても、唯一の空襲生き残りビルである事実に変わりはなく、時の流れの中で残されていくビル。忘れてはならない、大切な戦争遺跡。