鏡川一生清掃、民間活用〔4099〕2014/07/06
2014年7月6日(日)曇り
今日は浦戸湾七河川一斉清掃の日。毎年、このにっこりでもご紹介しゆう年中行事。高知市市制百周年を記念して平成元年に始まったという浦戸湾七河川一斉清掃の前身は、鏡川の一斉清掃。今回で44回目という、半世紀近く継続する事業、鏡川の一斉清掃。何度も書いてきましたが、小生は、その1回目、つまり小学校3年生の頃から参加しゆうという、非常に貴重な人物であることは、メッソ知られちゃあしません。
まあ、連続参加という訳ではなく、高知に居らんかった大学生の頃は参加しよりませんでした。高知へモンて来てからは、ずうっと参加しゆうがやないでしょうか。
最初は町内会長をしよった父親に連れられてイヤイヤ。しかし、今は積極的に参加できるようになりました。いつも眺める川がキレイになっていくのは、なかなか気持ち良いことですきんね。
写真は、小生の担当地区、天神橋と潮江橋の間の北岸。毎年の常連さんと、四国銀行さんなど、市内中心部の企業の皆さんがたくさんやって来て、川をキレイにしてゆきます。ああ、気持ちエイ。
この場所。唐人町。戦前までは、この土手の上には豆腐製造業者さんがずらりと並んじょったと言います。土手の下は広い河原で、城下の民の憩いの場。夏になると、昼間は子供達の川遊び、夕方は涼みに出て来る大勢の善男善女で賑わいました。
以前にも書いた仮説を今一度。
長宗我部元親が、秀吉の命で出兵した朝鮮から連行してきた朴好仁さんを始めとする一族郎党が30名。江戸幕府が開かれ、土佐を統治することになった山内氏は、その一族郎党をこの鏡川北岸の土手に住まわせ、豆腐専売の特権や、年貢免除などの特権を与えました。
その理由とは。
それだけの特権を与えるには、それなりの理由があったはず。例えば後免の町は、そこに町を形成するために、免税などの特権を与えたという例があります。
やはり、インフラ整備の民間活用、ということやと思います。小生は。
土手というのは、城下町の防災上、非常に、こじゃんと重要なインフラ。武士が住むエリアは、この北側に広がり、そこを一番に洪水から守る、というのが命題。川の南側は、その為の遊水地帯にしてもカマンかった訳です。
武士が居住するエリアの南側の土手。これを築くことと維持管理する事。これが重要。
さて。優れた土木プランナーであった山内一豊さんは、大高坂山にお城を築き、城下町を建設することを決意。で、一番の重要事項、鏡川の郭中への流入防止を考え、グッドアイディアを思いつきました。豆腐製造の技術を持つ、朝鮮からの人々を住まわせよう。
土手の構築に当たっても、かなりの労働力として活用したでしょう。そしてメンテナンス。土手は、もちろん継続的に維持管理せんと、しゅっとイカンなります。植物が繁茂し、モグラなどが繁殖したりするともうダメ。増水時に崩れてしまうようなものになりかねない。
そこで、土手の上に居住して商売をする人々に、土手のメンテナンスもやってもらう。で、そのかわり、免税措置などの特権を与えた、ということ。
いや、小生の妄想ですが、たぶんそう。確信します。
しかも。
豆腐というのは、武士の町であろうが庶民の町であろうが、日本人にとって必要不可欠な食品。それを、郭中に隣接するこの場所で製造販売する、というのは、普段の生活においてもとっても便利。
一豊さん、これは一石二鳥にも三鳥にもなるナイスなアイディアぢゃ!と、思わず膝を打ったかも知れません。ポン。
江戸時代の土木工事やメンテナンスは、実にうまく民間の力を活用し、公的資金を使わず、特権付与などの政策をうまく駆使してやりよったことが、最近理解できるようになりました。
なかなか賢い江戸時代の行政。
この、浦戸湾七河川一斉清掃も、民間のエネルギーの活用。自分たちの住む町を自分たちでキレイにする、その心地良さを利用して、行政も、できるだけお金を使わない。良い事業です。